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約束事か綺麗事か

自分が口にした言葉に責任を持っている人はいるだろうか。
人前で宣言した言葉に限らず、日常生活でふと口にした言葉を、私やあなたは覚えているだろうか。

吐いた言葉に忠実に生きようとすると、当然言葉に苦しめられるだろう。口は禍の元、因果応報と言うが、過去の言葉と未来の言葉に縛られようものなら、この瞬間私は何と話すべきだろうか。

これは、前向きな選択の可能性でもあるのだ。
自分が選んだ言葉に苦しむということは、恐らくは自分が好ましいと思う姿、しかし今の自分には届いていない姿を基にその言葉を発したのだ。他人に敢えて怠惰な物言いをする人もいることは否定できない。ただ、いずれにしても、あるときの言葉が撥ね返ってくることはあるだろう。

そういう私は、言葉の選択に気を遣い、選んだ言葉が嘘にならないように生きているつもりだ。自分の言葉に苦しめられることもあるが、言葉に従った結果の今の自分に嘘は少ない。すると、恐怖や不安は減っていくようだ。

誰もが自分の言葉に向き合って生きる、とは何とも綺麗事だ。
しかし、土台が脆い私たちの未来とは、何なのだろうか。

#未来のためにできること

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