『フットボールは必要か?』 (本記事は ZISO TALK #1のテキスト版です)
ZISOは、領域にとらわれず “フットボール” を追求するひとつのチームです。現役 Jリーガーを中心に、クラブやスポーツの垣根を越えて、多種多様なプロジェクトの組成を目指しています。
ZISO TALKは、新型コロナウイルスの影響によって、Jリーグが延期になったことを踏まえて、ローンチ前のZISOが 先行でスタートさせたメディアプロジェクトのひとつです。
4/12から現在(5/29時点)に渡り、Youtubeで #1〜#12 までの12回を放送。多数のJリーガーが参加しています。
本記事は ZISO TALK #1『フットボールは必要か?』 のテキスト版です。
ZISO TALK #1 <Part 1/3>
【参加メンバー】
・井筒陸也(Criacao Shinjuku)
・小林祐三(サガン鳥栖)
・山田大記(ジュビロ磐田)
・岩尾憲(徳島ヴォルティス)
https://youtu.be/E2zn1dqZS4g?t=960
(以下、動画16:00〜)
不要不急のフットボール
井筒陸也(以下、井筒):コロナのこういう状況もあって、どういうテーマで話すのがいいのかなと思いましたけど、今回は「フットボールが必要か?」というテーマにしました。まず「自分にとって」というところでいいと思うんですけど、(小林)祐三さんはフットボールを始めてから何年くらい経ちましたか?
小林祐三(以下、小林):後でも話に出るかもしれないですけど、5歳くらいからクラブに入っているので、もう30年近いですかね。自分で言って、びっくりしましたけど。
井筒:そんななかで初めてじゃないですか。こんなに試合がなくなるのは。
小林:そうですね。さっき考えたんですよ。中断する前の(Jリーグの)2試合でピッチに立てなかったので、公式戦は去年の11月から半年くらい出てない。それくらい離れるのは怪我とか全部ひっくるめても初めてなんじゃないかな。30年目で初めての経験です。
井筒:心境の変化はどうですか? ZISOとしては「やっぱりフットボールは必要だよね」って安易にいきたくはないんですけど、正直なくても人は生きていける。僕もそうでしたけど、職業としてやっている人からしたら困るかもしれないですけど、そこに安易に逃げたくないたという気がします。
小林:社会的には本当に不要不急の極み、みたいな感じで言われてますよね。正直、今の段階ではもちろんその通りですし、それを今さらここで論じてもしょうがないと思うので、あくまで自分自身の話に繋げていきます。
一つ思うのはやっぱり、スポーツの価値、フットボールの価値というのを文字(言葉)だけでもたせたくない。スポーツの価値について、メディアを通じて色々と出てくるけど、本当に空っぽに聞こえてしまう。そういう考えを、アスリートたちも含めて改めていかなきゃいけないなというのが今自分の中で思っていることです。
30年近くやってきて初めての経験なんですけど、案外大丈夫でした。自分は他のことにも色々と興味があって、それらとフットボールを相対化する癖があった。
自分にフットボールがなかったらどうするかとか、フットボール以外のことで自分がどういうことが好きなのかとかを結構考えて生きてきたので、今は逆にピッチにもう一回戻った時に自分の情熱がどうなるのかという過程が楽しみ。立場的にクラブのことでやっていることはありますけど、それ以外はニュートラルな感じで構えていられる。もちろん、今の社会の状況に何も思っていないというわけではないですが、「うわー、ボール蹴りてえ!」という感じには正直あまりなっていないですね。これが率直な今の意見です。
“試合ができなくても必要とされる存在じゃなきゃいけない” 山田大記
山田大記(以下、山田):僕は祐三さんと違ってフットボールが大好きなので。プレーしたいと思ってますけどね。(笑)
小林:やめろよ(笑)
山田:今のは冗談ですけど、すごく時間が止まっちゃってる感ないですか? やっぱり試合ができなくて、いつからできるかわからないと、見てくれている人もそうだし、僕らも何もしていない感、止まってる感はすごくある。
今回「フットボールは必要なのか?」という問いで考えたのは、大前提として「フットボールが好き」という人でも、フットボールからどういう価値を引き出しているのかは人それぞれだということです。子どもの頃はプレーするのが好きで、プレーする喜びからみんな入っていると思うんですけど、段々と夢や目標ができて、そのために頑張っている人もいるし、見るのが好きな人もいる。試合中に突き動かされる色々な感情を味わいに来ている人もいる。
前提として色々な価値があるとは思うんですけど、こうやって試合ができないと(フットボールに)価値がないというような風(雰囲気)じゃないですか。結局、僕らは何もできていない。それって(Jリーグが)正しい道を歩んできてないんじゃないかなと思っちゃうんですよね。クラブとしても、僕らプロ選手としても。
Jリーグとしてクラブに根付くとか地域に根づくと言ってる中では、仮に試合ができなくても必要とされる存在じゃなきゃいけない。本来フットボールの価値は試合以外にもあるはずで、この状況でも価値を発揮できるはずなのにそれができていない。じゃあどうするってところまでは自分で考えられていないんですけど、今の状況は自分に対しても、クラブに対しても、フットボール界に対してもちょっと不甲斐ないなと思っています。
岩尾憲(以下、岩尾):僕は幸いなのかわからないですけど、まだ練習ができてるんですよね(※配信は4月12日。徳島ヴォルティスは4月18日にトップチームの活動休止を発表)。それでいうと本当に活動できてない時の自分を知らないというのが正直あるので、祐三さんと似ていて、「フットボールを取り上げられてやばい」となっているかというと、そんなことはない。
かといって人に会えたりするわけでもないので、僕はここ(ZISO)でこうやって毎週、話させてもらっているのが結構ありがたいと思っています。自社株を上げるみたいなこと言いますけど(笑)。もしかしたら完全に自粛になって、10日とか2週間とか自宅で過ごすとなった時に見えるものもあるかなとは思うんですけど、まだそこまでいけてないですね。
“ピッチに立っていない時にいかにしてフットボールをするのか” 小林祐三
小林:僕もここ(ZISO)で1週間に1回、自分たちに何ができるのかとか、何を考えるべきかっていうのを話すことによって、アクションを起こせているので、少し(虚無感が)解消されている。話を聞いていると、やっぱり本当にきついって言っている選手も多い。どちらが正しいというのはないかもしれないですけど、空いた時間をどういうふうに使っていくのかは、選手にとって永遠のテーマだと思う。あらためて、今はプレーヤーがそこの部分を試されてるのかなっていうふうに思います。
井筒:僕は今Criacao Shinjukuという新宿のチームに所属しています。今はZoomを使って全員で練習していて、それはそれで面白いです。僕はまさに東京の中心にいて、当然自粛対象のエリアなのでフットボールができない。そこですごく考えたのは「フットボールが必要か?」ということ以上に、そもそも「フットボールとはなんなんだ?」ということ。これは僕自身のテーマでもあるんですけど。
今はピッチに立てない。グラウンドも閉鎖されていて、外に出られない。僕らはピッチに立てないとフットボールができないのか、それともピッチに立てなくてもフットボールができるのかというところでは「いや、ピッチに立つことだけがフットボールじゃないだろ」と考えていました。まさに祐三さんが言ったように、こういう有事の時だからこそ「ピッチに立っていない時にいかにしてフットボールをするのか」ということあらためて考えさせられました。
小林:我々としたらこれもフットボールだっていうことをやっぱり強く言いたいというか。実際、こういうふうな場があって、自分としては世間がこの状況のなかでも週1でこのメンバーで話すというのは楽しいし、陸の言葉を借りると、あらためてこういうフットボールの仕方もあるなって思っています。
山田:でも、今の言葉も伝わりにくいのかなと感じることもある。ピッチに立てなくてもフットボールができるって、僕は経験的にその言葉を実感できるんですけど、結局ピッチでやってナンボでしょというのもプロとしてやってきている以上は大前提にある。
ピッチの外でこうやって色々な人に会ったり話したりとか、フットボール以外のことに目を向けないと目の前の課題突破や問題解決はできなくなってくる。(プロとしてピッチでやっているという)前提を僕らは感じているからこそこうやって思うわけで、それをどうやって説明していけばいいのかはすごく難しい。
「話すこともフットボール」だと理解できた理由
井筒:大記さんはそれをどういうふうに考えていますか? 僕はそれを途中で投げ出してしまったんですけど、Jリーガーとして地位を築きながらこういった状況の中で(ZISOで)一緒にやってくれるのはなぜなのでしょう?
山田:僕は祐三さんや陸みたいにたくさん趣味とかもないし、とにかくフットボールだけしかやってきてない人間だと思ってる。小さい時はリフティングも毎日やればやるほどうまくなったし、高校や大学くらいまでは努力すればするほどどんどん自分に返ってくる感覚があった。
でもそれが24、25歳を過ぎたあたりから、それまでの努力の方向だと頭打ちになっていって結果につながらなくなっていった。それで「あれ? もう自分の限界なのかな?」って思った時にドイツ(カールスルーエSC)に行ってたんだけど、そこでも1年くらい自信を失っていた時期があった。
その時に色々な本とか色々なジャンルの情報を拾いに行った時に、まだ伸びしろや可能性の余白がいくらでもあるんだなっていうのを感じた。だからこうやってみんなと関わって、ZISOというコミュニティーを通して自分が出会えなかった領域の人たちと会うことで、もっともっとピッチの上で自分のパフォーマンスを上げられるって経験として感じている。すごく感じているからこそ、こうやって話すこともフットボールの一部だと理解できているという感じかな。
<Part 2/3>へ続く
※この記事は、ZISOメンバーによる配信【ZISO TALK #1「フットボールは必要か?」】の文字起こしを、編集したものです。
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