第40週:バラク
基本情報
パラシャ期間:2023年7月14日~ 7月20日
通読箇所
トーラー(モーセ五書) 民数記 22:2 ~ 25:9
ハフタラ(預言書) ミカ 5:6 ~ 6:8
新約聖書 黙示録 2:12 ~ 23
(メシアニック・ジューが合わせてよく読む新約の箇所)
自身の行動に対する、自身の責任
ユダ・バハナ
モアブのバラク王の企み
今週のパラシャ名にもなっているバラクとは、古代ヨルダンの死海の東に位置する地域、モアブの王だった。
出エジプトの時代、近隣国々が自分たちの地域に近づき放浪している新たな謎の人々に対し、恐れを抱いているとトーラー(モーセ五書)は明確に描写している。そしてそんな謎のイスラエル民族の裏にある力の源は何なのか、誰もが疑問に思っていた。しかし彼らが最も考えていたのは、どうすればイスラエルの進軍・入植を阻止できるかということだろう。
他の民族と同様バラクが率いるモアブも、イスラエルに神聖な保護と祝福を与えているのが神であることを理解していた。バラクは、この祝福や霊的な保護によってイスラエルが強力になり、成功すると確信している。この神からの賜物によりイスラエルの認識は軍の士気を高め、それは人々の勇気、勇敢さ、自信によって表される。
イスラエルとは対照的に、バラクの軍は恐れを抱き、士気・勇気・意欲を欠けており、劣勢だった。このような状況下では、イスラエルと物理的な衝突を起こすのは賢明ではない。
したがってバラクは、イスラエルを呪い弱体化させるために占い師のバラムを雇う。呪術を使うことでイスラエルの軍事的勝利・進軍に終止符が打たれることを、期待したのだ。
パラシャを読み進めるとメスのろばが登場し、神がろばの口を開きバラムに話し掛ける。ユダヤの賢者(ラビ)たちは、神がロバに話すことを許したのは神ご自身が口と舌を与え、話す能力そのものを与えたり奪ったりすることをバラムに示すためであり、バラムに注意するよう警告したと解釈している。
私たちの話す言葉には、力があるのだ。
創世記の冒頭では神が語り掛け、言葉によって世界が誕生している。良くも悪しくも、話すこと=言語によって私たちは組織を形成し、力を合わせることが出来た。バベルの塔の場合は言葉がもたらした悪い例だ― 人々は言葉を使ったことにより、神に背いた。そのため神は言葉を混乱させ、塔の建設を不可能にした。そして共通の言語を失った人類は、世界中に散らばって行った。
このように、私たちの言葉には呪いと破壊の力がある。しかし、その逆もまた真だ。私たちの言葉には、他人を祝福し、誰かの成功をもたらし、励まし、称える力がある。
聖書時代から、これはほとんど変わっていない。
一般的に人はすぐ批判する傾向があり、肯定的なフィードバックをすることがなかなかできないこと。しかしたった一言で私たちは他の人を元気づけ、その人の1日を良いものと変えることができるということを思い出そう。もっと頻繁に、人に対して良い言葉を掛けよう。
何世代にも渡って賢人(ラビ)たちは話すろばの話は本当に起こったのか、それとも単なる夢なのかを疑問に思い、論点としてきた。実のところ、この聖書の物語は両方の方法で理解することができる。もしその話が現実に起こったとしたら、私はメシアを信じる者として、神が世界を創造したことからそれを心から信じる。神はただ話し語るだけで、何もないところからこの物質世界を、言葉によって創造した。だから私たちにとって、神がろばに言葉をしゃべらせることができると信じることに何の問題もない。
一方、この一連の出来事は夢・幻だとも解釈できる。バラムはモアブ王宮からの使者たちに、神からの答えを待つため一晩滞在するように言う。実際神はその夜、夢の中でバラムにご自身を現された。
バラムという『偉大』で『邪悪』な預言者
バラムの部下たちとともに行く神の許しを得た後、トーラーはバラムの夢を描写する。そこではメスのろばが奇妙な行動をとり、ついには話し始める。この解釈によるとろばとの会話は、モアブ人たちと一緒に行く許可(20節)に戻っている。
バラムは非常に興味深い、謎に満ちたキャラクターだ。
この物語を読むと、バラムが偉大な預言者であることが分かる。彼は神の霊に満たされており、頻繁に神と会話している。バラクはバラムの言葉と呪いが強力なので、バラムを雇ったのだ。
驚きに包まれ、私たちはこれを静かに考える必要がある。神は、ご自身を信じていない被造物ともコミュニケーションを取り、力を与えて下さるのだ。私たちの『敵』に対しても、神は話し掛けられるのだ。
神はすべての肉なる者の主・創造者なのだから、まさにそれは至極当然のことだ。
神は私『だけ』の神、またイスラエル『だけ』の神ではない。神はすべての人、そして被造物にとって唯一の実在する神なのだ。この唯一のお方である神は、宇宙、人類、すべての被造物を創造し、必要であればコミュニケーションを取られる。
バラムは異国そして異教の預言者だった。そして彼は悪であるため、悲劇的な死を遂げる。それにもかかわらず神は彼に対して語っており、バラムは私たちに次のように知られている。
新約聖書は、バラムは偽預言者として描写している。しかし彼は、本当に神の言葉を聞いており、そう言った意味で言えば『真の預言者』だった。しかし、彼のやり方は間違っていたのだ。バラムは強欲かつ高慢で、他人を間違った形で導き傷つけた。
IIペテロでは、バラムのような偽教師がメインテーマの1つになっている。この御言葉は、非常に賢く秘密・天からの隠された事柄を知っていても、その人物が邪悪で貪欲である可能性があることを示している。バラムの話は「どれだけ知っているか」が問題ではなく、その知識を「どう活用するか」が重要であると教えている。
対:一方だけでは存在し得ない
強欲・貪欲であることは、常に間違っているだろうか?
私たちは皆が成功を望み、自分にとって何が利益になるかに従って意思決定したいと考えるものだ。問題は― それが罪なのか、そしてなぜ罪なのかということだ。私たちの行動が私利私欲によって動機付けられているのは、正直に言えば論理的で正常なことだ。このメカニズムは私たちを守り、最終的には成功に繋げている。
利益がなければ、慈善活動が成り立つだろうか。また、憎しみなしに愛は存在し得るだろうか。この疑問をよく表している「二本の枝」という古い話がある。
この物語は私たちにいくつかの教訓を教えてくれる。
その中の重要な1つは、悪がなければ善が存在するのだろうかという疑問だ。憎しみなしに愛が、悲しみなしに喜びが存在するだろうか?
食欲がなく、お金を愛さず、嫉妬も怒りもない人― そんな人間は自分自身のことを大切にせず、良い生活を送ろうという、努力もしないだろう。恐らく個人的な成長への意欲や願望、家庭を築こうという意欲も欠けているだろう。
私たちが忍耐して、競争に参加し、学び、成功し、結婚して子供を持ち、働いてお金を稼ぐ動機となる、内なる力は何だろう?
これらすべてが、欲望、自尊心、嫉妬、権力への強い衝動なしに、可能だろうか?
この木の話から私たちが学べることは― 悪がなければ善は存在できない、ということだ。
さらに、毒や邪悪な部分を切り落とすということは、実際には(その対極となる)良い木そのものを切り倒し、その人そのものとその人の努力する能力そのものを破壊することになる。
神は私たちを、葛藤する二つの相反する力を私たちの内に植え付けた形で創造された。このバランスによって、私たちはメリハリのある豊かな生活を送れている。常にどちらかの一極だけに身を置くのは、不健全なのだ。時間、体力、エネルギー、態度、聞く力、そしてお金。私たちの資源は限られている。
困っている人たちに寄付をする場合でも、それは常に何かまたは誰かを犠牲にして行なわれている。配偶者、子供たち、コングリゲーションのメンバー、あるいは友人たちの犠牲の上に成り立っている。私たちは行き過ぎた正義主義的な態度に注意しなければならない。
自分ではない他人だけに投資すべきだと考えるのは正しくないし、賢明でもない。確かに人に与えることは命令だが、そのために私たちの畑全体を手放すようにも命じられてはいない。聖書には畑の端や隅、収穫中に落ちたものだけを手放すようにと、明確に命じられている。
そうなれば、残りはすべて私たちのものになる。
自分を愛するのは構わずかえって自然である、自分の外見に投資したり、運動して健康になったり、見栄えを良くしたり、庭の手入れをしたりして楽しんだりすることは、非常に価値がある。素敵な家を作れば、家に帰ってくるのが楽しみになる。それは良い、健康的なことだ。
それと同様に、神はこの見える世界に投資している。神はそれを作り、大きな愛を込めて植えた。六日間の創造の終わりには、こうある―
支払いや報酬を受け取りたいという願望は、何も悪いことではない。
バラムの話に戻るが、彼はどのように罪を犯したのだろうか?彼はあらゆる段階で、神の導きを求めていたように見える。バラク王がバラムに対して怒っているときでさえ、彼は同様の怒りでこう答える。
実際にバラムはイスラエルを呪うのではなく、世界中のすべてのシナゴーグが毎週繰り返す有名な言葉で祝福している。
行動に対する責任
ではバラムが貪欲・邪悪であると、いつ・どこで判断されたのだろうか。
貪欲、つまり利益を得たい、あるいは対価を得たいという願望の何が問題なのだろうか?
だがここで注意すべきなのは、貪欲の定義自体は「利益を上げること」を意味する訳ではないということだ。むしろ、貪欲であるということは、誰かが欺瞞、窃盗、嘘など曲がった道を歩むことを意味する。 貪欲であることは他人を傷つけることを伴う可能性があり、それは容認できるものではない。
新約聖書には、リーダーに求められる資質のリストが記載されている―
これらはリーダーに求められる資質の一部で、貪欲にならないこと=他人を犠牲にしてまで利益を得ないこと、が含まれている。
最後に、バラムはイスラエルに損害を与える方法をバラクにアドバイスしている。
バラムはバラクに対し、モアブ人の女性を利用してイスラエルの男性を性的に誘惑するよう助言している。その目的は、イスラエルを霊的に傷つけるということだった。これはトーラーに書かれており、バラムの考えであることが分かっている。(民数記31:15-16)
ミデアン人との戦争の後、イスラエルは女性を含めた戦利品を携えて戻って来た。
そしてモーセは、イスラエル人が教訓を学んでいないことに非常に怒った。これらの女性たちとバラムのアドバイスにより、イスラエル人は偶像崇拝に陥ったからだ。
バラムの物語は、誰もが自分の行動に対して責任があることを教えている。
私たちは自分の行動と決定について、説明しなければならないのだ。
イェシュアは次のように、これを要約している―
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