頻発する、ユダヤ教過激派のキリスト教への攻撃―
架け橋ニュースレター(紙版)の前号では、
『史上最も極右的な政権の出現』
と題し、イスラエルのメシアニック・ジューやクリスチャンに対して、吹く可能性がある向かい風について紹介しました。
そんな極右色の強い第6次ネタニヤフ政権が国家運営を始めて、現在2か月。クリスチャンへの向かい風は少しずつではありますが、すでに吹き始めています。
① 歴史あるプロテスタント墓地への破壊―
まずは政権樹立後わずか3日後(1月3日)に起こった、シオンの丘にあるプロテスタント墓地での破壊行動です。2人のユダヤ教正統派の若い男性2人が墓地に侵入、計28の墓の墓標を破壊したのです。
1848年からあるここプロテスタント墓地には、19世紀の中頃に孤児院や学校を建てるなどエルサレムの近代都市としての発展した、宣教師たちが眠っており、エルサレムという歴史・宗教モザイクの一部となっている、非常に重要な場所です。
このニュースに関しては大手紙やテレビでも大きく報道され、海外でもキリスト教国を中心にニュースになりました。2週間後には、14歳と18歳の正統派ユダヤ教徒が逮捕された事がニュースになりましたが、取り調べの後に自宅での軟禁処分になるだろう、というところで報道は止まっており、そこからもおそらく起訴であったり、裁判というところまでは行ってないように思われます。
日本であれば、「若い中高生が一時的に腹を立てて、理由もなくいたずらしたのでは」とも考えられますが、警察によると取り調べに対して2人は、宗教的な動機から行った国粋主義的な破壊行動(ヴァンダリズム)と供述しています。
そしてアメリカやイギリス、英国聖公会などはこの蛮行を非難する声明を出していますが、イスラエルの警察を統括する立場である例のベン=グビル国家治安相や、ネタニヤフ首相をはじめ政権のリーダーたちは沈黙。
もしこれが逆に、ユダヤ人墓地がクリスチャンまたはイスラム教徒により破壊されていたならば、全く違った反応をし、その犯人は起訴されて裁判が行われていたことでしょう。
しかし今回は、犯人たちが自身の支持母体であることもあり、批判するようなことはありませんでした。
ちなみに事件が起こった1週間後の1月6日には、クリスチャンに対して理解・愛のあるガイドや教育者、そして有志のユダヤ人市民約60人が、被害に遭った地元共同体に連帯(ソリダリティー)の意を示すために墓地を訪問(写真上)。
地元の司祭に対して破壊行動について謝罪し、その後墓地の修復と清掃活動を行いました。
(キッパを被った、正統派ユダヤ教徒も参加)
また2月には筆者がガイド・コースを受講した学術団体が、「知り、力付け、行動しよう」と銘打ち、墓地の持つ歴史的背景や重要性などを伝えるレクチャーと、墓地を中心としたガイド・ツアーを企画していました。
② ヴィア・ドロローサの教会でイエス像を破壊
シオンの丘での破壊行為から1月後の2月3日、今度はカトリックの聖地が標的となりました。
ヴィア・ドロローサの第2留の一部になる「むち打ちの教会」で、アメリカ系ユダヤ人の正統派男性(40代)が教会にあるイエス像を倒した後、像の頭部を破壊したのです。
すぐに警備員により身柄を拘束されたのですが、取り押さえられながら
「聖なる戒めに反している」
「この偶像崇拝は許されていない」
「出エジプト記20章(偶像の禁止が書かれている)」
と叫んでいる様子がビデオでも分かるため、プロテスタント墓地と同様、宗教的な動機であることは間違いありません。
ローマ・カトリックのエルサレム総主教庁は、(上記の墓地を含め)極右思想を持つユダヤ教徒によるキリスト教への攻撃が、ここ数週間で5回も起こっているとし、以下のような声明を発表しました。
これも聖地でのユダヤ人によるヴァンダリズムと、国際的なニュースにもなったのですが…
やはり、ベン=グビル国家治安相やネタニヤフ首相たちからの、強い批判の声や行動は見られませんでした。
③ アルメニア正教の最も重要な教会前で…
ユダヤ教過激派による攻撃は、プロテスタント・カトリックだけにとどまらず、エルサレムを代表するキリスト教の教派、アルメニア正教に対しても散見されています。
エルサレムの旧市街でユダヤ人地区とアルメニア人地区は隣接しており、ユダヤ人地区に入る際にはアルメニア人地区を通ることから、ユダヤ教徒によるアルメニア人に対する嫌がらせ行為自体は、(残念ながら)真新しいことではありません。
しかし今年に入ってからは、それらが大規模なものにスケールアップしてきています。1月末には入植者と見られる極右のユダヤ教徒が、数十人規模で徒党を組んでキリスト教徒地区に入り、アルメニア人オーナーのレストラン・バーに対して嫌がらせを行い、口論からレストランの椅子が投げ付けられるなどの暴動に発展しました。
またその他にも、アルメニア人地区の中心にある聖ヤコブ大聖堂などの壁に、
クリスチャンに死を
アラブ人と異邦人に死を
とヘブライ語での落書きがされる、という事例が起こっています。
そして極めつけは2月初めの深夜、ユダヤ教正統派の若者が聖ヤコブ大聖堂入口にあるニッチ(壁がん)に、用を足したのです。
この蛮行に関しても政府は沈黙を守っており、犯人は見つかっていません。
アルメニア正教の修道士は、公共放送の取材にこう答えていました―
ここ最近のアルメニア人に対する嫌がらせや暴動、今回の事例などを受け、エルサレムのアルメニア正教のリーダーたちは、政府関係者(高官)に対してこれ以上状況が悪化しないよう、介入を求め働きかけているとのことです。
まとめ(クリスチャン向け)―
こういうニュースが上がった際、よく見られるレトリックは、
「メディアやSNSはこういった、過激派の超少数派をデフォルメして取り上げている。実際は全く違うものだ」
というもの。
確かに全ての敬虔なユダヤ教徒が、彼らの行動に同意・共感している訳ではありません。
しかし彼らのような政治・宗教的な思想を持ち、彼らのような過激な右派を支持母体として14議席を獲得し、警察を束ねる国家治安相になったベン=グビル氏を見ると、これが決して『小さなマイノリティー』ではなく、十分メインストリームとなっていることを物語っています。
またこれは個人談になりますが、ガイド・コースの友人がこのニュースについてWhatsapp(イスラエルではLineのような立ち位置)で共有したところ、正統派のクラスメートの1人が
「彼らは自分の信仰に対して責任を持ち、それを行動に移しており、それ自体は感動的だ。若者は何かを破壊したがるもの。その裏に聖書的なイデオロギーがあるので、それに関しては見上げたものだ」
とコメント。
すると、数人の正統派のクラスメートが同調していました。
もちろん彼らは(私がクリスチャンであることを知っており)彼らの破壊行為に対しては賛同していません。
しかし、正統派ユダヤ人たちの一定数が、このように感じているのだとすれば―
その影響を受けて育った若者が、小さなきっかけで暴発し、このような行為に走ることは『いたって自然なこと』でしょう。
このようなニュースを見ると、「キリスト者としてイスラエルを愛する」ということへの、難しさを痛感させられます。
「愛する」ということは、全てを無条件に受け入れることではありません。
夫婦の間でも疑問符や不安、心に引っ掛かるものを抱えたまま(またはそれらを全く感じず)、手放しに相手を愛するのであれば―
それは盲目的な恋でこそあれ、健康的な愛ではないでしょう。
イスラエルを愛するクリスチャンにも、同じようなことが言えるかも知れません―
イスラエルが今必要なのは、前者に基づいた無条件の肯定・支援ではなく、後者に基づいた『執り成しの祈り』なような気がします。
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