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原稿用紙5枚の掌編小説「秋の午後」

私は子供の頃、おばあちゃん子でした。あの頃おばあちゃんが言ったことばの何気ない一つひとつが、長い人生を生きてきた経験から悟った重く真実味のあるこどばなのだと今さらながら気づかされます。それはどんな哲学書や思想書にも載っていない、大切な言葉のように今は思えます。                                      



 庭先に自転車を止め玄関を入ると、ピアノが奏でるジャズのメロディーが流れていた。おじいちゃんが遺したレコードを、おばあちゃんが聞いているのだろう。おじいちゃんが亡くなってからというもの、おばあちゃんは家にいるときはいつも遺品のレコードをかけながら、お勝手仕事や針仕事、そして庭の花壇の手入れをして一日を過ごしている。                

「大当たり!」

 私が台所をのぞくと、おばあちゃんは私の顔を見るなり目を丸くして言った。

「なにが当たったの?」と私が訊くと、               「今日あたり優子がくるような気がしてね、お芋蒸かして待ってたの。おばあちゃんの予想は大当たり」と笑顔で答えた。台所の隅では、ガスコンロに乗った蒸し器から、さつま芋のいい匂いが溢れていた。

 茶の間でホクホクのお芋を食べながら、私はいろんな話をした。学校のことや友達のこと。そして大好きなアイドル歌手のことなども。おばあちゃんは私が何を話しても、けして「そんなのだめ」とは言わず、いつも「へえ、そう、ほんとう」と、大げさな相槌をうちながら聞いてくれるから、私も気分よく話ができる。でも今日おばあちゃんの家に来たのは、そんな世間話をするのが目的ではなく、私の気持ちを伝えるためだった。

 三カ月ほど前におじいちゃんが亡くなって以来、おばあちゃんはこの家で一人で暮らしている。私のお父さんが生まれて育った家だ。おばあちゃんを一人にしておくことを心配したお父さんは、一緒に暮らそうと何度もおばあちゃんを説得したけれど、おばあちゃんはそのたびにやんわりとした言い方で、その申し出を断ってきた。私の家は自転車で一時間ほどの隣町にある。けして大きな家ではないけど、家族が増えるのは私は大歓迎だ。だからそのことをあらためておばあちゃんに話してみようと思って、はるばるペダルを漕いでやってきたのだ。きっとおばあちゃんは、私たちに遠慮して断っているのだと私には思えたから。

「おばあちゃん、実はあのことなんだけど・・・」

 私はそう切り出して、自分はおばあちゃんと一緒に暮らしたいと思っていることを、たどたどしい言葉で伝えた。

「ありがとう。優子はやさしい子だね」

 おばあちゃんは私の話を一通り聞き終わると、私の顔をしみじみと見て言った。そして目を丸くしてこんなことも言い出した。

「おばあちゃんね、最近やっとジャズのよさが分かってきたような気がするの」                               「ジャズの?」                          「そう。おじいちゃんが元気なころはわけが分からなかったけれど、毎日こうして聞いていると、ジャズっていいなって思うの」

 私にはジャズという音楽はぜんぜん分からない。けれど、古いレコードプレーヤーから流れてくるピアノのメロディーは、秋の季節にとてもよく合っている気がする。

「人には楽しいときも悲しいときも、それに淋しいときもあるでしょう。ジャズはね、どんな気持ちにもぴったり合っちゃう音楽なの。そこがジャズの素敵なところ。おじいちゃんが夢中になったのも分かる気がする」

 おばあちゃんはそう言って、レコードの並んだ棚に飾られたおじいちゃんの小さな写真を見つめた。

「おじいちゃんがいなくなって淋しい?」

 私がそう訊くと、おばあちゃんはしんみりと言った。

「そりゃあ淋しくないと言った嘘になるね。何十年も一緒に暮らしてきたんだもの。淋しいし悲しいよ。でもね、おばあちゃんはおじいちゃんがいなくなった悲しみを、しっかり悲しんであげたいの。それがおじいちゃんへの礼儀だから。優子たちと暮らすのは、それからでいいの」

 それは自分へ語りかけているような言い方だった。

「おじいちゃんへの礼儀?」                    「そう。大好きだった人への礼儀。いっぱい悲しんで、いっぱい泣いてあげることがおじいちゃんへの供養になるって、そう思うの。そのために今は一人でいたいの。一人でいることが必要なの」

 うまく説明できないけれど、私にはおばあちゃんの気持ちが少しだけ分かったような気がした。どんな悲しいことも、時が癒してくれるって誰かが言ってた。時がたって、おばあちゃんの心に笑顔が戻ったとき、おじいちゃんは安心して天国へ行けるんだ。私にはそう思えた。これからも時々おばあちゃんに会いに来よう。自転車に一時間乗るのは大変だけれど、私にできることはなんでもしてあげよう。そんなふうに今はおばあちゃんを見守ってあげることが大切なのかもしれない。

「草でもむしろうかね」

 そう言っておばちゃんは縁側から庭に降りると、庭の片隅に咲く秋桜の間に身をかがめ、草をむしり始めた。

「私も手伝う」

 縁側からサンダルを履いて庭に降りると、私はおばあちゃんに並んで草をむしった。頬を撫でる秋の穏やかな風が気持ちよかった。西に傾き始めた陽が、庭木の枝の影をおばあちゃんの肩のあたりに映している。風に揺れるその影が、まるでおじいちゃんの腕がおばあちゃんの肩をそっと抱いているように私には見えた。                         

                             ー完ー                 

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