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原稿用紙5枚の掌編小説「カブト虫の森」

少年時代の記憶は私にとって物語の宝庫です。           ある夏の思い出に創作を加えて、こんな物語を書いてみました。


「カブト虫がめちゃくちゃ捕れる場所、おまえにだけ教えてやるよ」      

 僕の耳もとで重大な計画を打ち明けるようにK君は言った。         

「そのかわり、誰にも言うなよ。俺とおまえだけの秘密だからな」   「分かった。誰にも言わないよ」

 いつになく厳しい目をしたK君に気押されしたように僕は答えた。翌日の朝五時に、集落のはずれにある神社の前で落ち合うことになった。

 K君はカブト捕りの名人としてクラスの中で名を馳せていた。今朝捕ったばかりだと言うカブト虫やクワガタを学校に持って来ては見せてくれた。興奮する仲間を前に、けして自慢するわけでもなく、こんなのはどうってことないんだという態度が僕には好ましいものに感じられ、いつしか僕はK君に尊敬の念を抱くようになった。そのK君からカブト捕りに誘われたのだ。僕は胸の高鳴りを抑えることができなかった。

 翌朝、約束の場所で落ち合い、僕たちはT川の土手に続く細い道を歩き出した。T川は僕たちの住む町を横切って流れる大きな川で、川に沿ってクヌギやコナラと言った樹木が密生する一帯がある。まさにその森こそがカブト虫の宝庫だとは聞いていたが、僕はまだ一度も足を踏み入れたことはなかった。

 足早に歩くK君に遅れまいと僕は小走りで追いかけた。土手の上に立つと、その先に朝霧に包まれた森が黒く横たわっているのが見えた。僕たちは土手を駆け下り、森に続く草地に分け入っていった。ひんやりとした湿気が体を包んだ。子供の背丈ほどもある草の葉が体中にまとわりついた。そんな中をK君は慣れた足取りで奥へ奥へと進んでゆく。その後ろ姿は熟練の猟師のように僕には見えた。

 陽は徐々に昇りつつあったが森の中は薄暗く、木々の間から差し込む太陽の光が金色の帯のように見えた。そんな中で、木肌に滲み出る樹液に群がるカブト虫やクワガタが蠢いていた。その野性的な姿に圧倒され、手も足も出ずにいる僕にすかさずK君の叱責が飛ぶ。

「ぼやぼやするな! 陽が昇ったらカブトは隠れちゃうぞ」

 その言葉に尻を叩かれながら僕は半人前の猟師になり、恐る恐る獲物を摘み取った。それでも虫かごはすぐにいっぱいになった。

 陽が完全に昇りきった頃、川岸に出た。K君が黙って指さす先には同じように木が密生する中州がある。

「一番背の高い木があるだろう。あれが昔から伝説と言われているクヌギさ。じいちゃんが教えてくれたんだ。あの木にはオオクワガタがいるんだ」                           「ほんとう!?」

 オオクワガタと言えばカブト虫やクワガタのまさに王様だ。もちろん僕は一度も見たことはない。しかし王様を手に入れるには川を渡らなければならない。一筋の浅瀬が中州に続いていたが、数日前の雨で川の水はその嵩を増していた。

「どうする、行くか?」

 K君が僕に聞く。僕は慌てて首を振った。

「無理だよ、行けっこない!」

 K君はそれには答えず、悔しそうに中州を見つめて呟くように言った。

「俺はいつかきっと行って見せる。あそこで絶対オオクワガタを捕るんだ。そのときはおまえに最初に見せてやるよ」

 K君はそう言って笑った。K君と親しく言葉を交わしたのそれが最後となった。

 夏休みに入り間もない頃、一人の少年が川に流され亡くなるというニュースが町に知れ渡った。K君だった。K君は虫かごを背負った姿で発見された。中州に渡ろうとして、川の流れに足元を掬われたのだった。

 それ以来、しばらく僕はT川に近づくこともできないほどの衝撃を受けたのを覚えている。K君は僕にオオクワガタを見せたいがために、無謀な冒険をしたのかも知れない。そう思うと、僕はまるで自分が犯罪者になったような罪悪感に苛まれた。

 あれから数十年の月日が過ぎた。僕は今でも考える。なぜあのときK君は僕をカブト捕りに誘ってくれたのだろう。僕にとってK君は憧れの存在だったが、僕ときたらいつも図書館で昆虫図鑑を眺めているような、とても活動的とはいえない少年だった。そんな僕のどこに興味を持ったのだろう。その答えを聞くすべは今はもうない。

 カブト虫の森はその後の護岸工事に伴い、かつての面影を失ってしまった。僕たちの思い出も月日とともに少しずつ失われてゆくだろう。しかし、森の奥深くに分け入ってゆくあのときのK君の後ろ姿は、永久に歳をとらない少年のまま僕の脳裏に鮮明に蘇る。僕の中に今もわずかに残る少年の心を呼び覚ますように。




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