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原稿用紙5枚の掌編小説「ケムリの叔父さん」

必要のなくなったものは潔く捨て去ること。それが効率よく生活するためのひとつのポイントかも知れません。その反面、いまは必要なけれど、いつか必要になるかも知れない。そんな思いで捨てることのできない物が多々あることも事実です。必要ないのではなく、その大切さに自分が気付いていないだけかもしれない、そんなふうに思えることもあります。そんなことを考えながら、この物語を書きました。



 引っ越し業者との日程の打ち合わせも済み、あとは荷物をまとめるだけだった。要りような物はダンボール箱に詰め込み、それ以外の物は車で町のごみ処理場へ運んだ。

「徹底的に断捨離しましょう!」

 妻が勇んで言った。もちろん私もそのつもりでいた。夫婦二人の生活なのだ。必要最低限の物だけを残せばいい。着なくなった衣類に使わない食器、故障したままの電化製品など、片っ端から処分することは自分たちがどんどん身軽になっていくようで、快感さえ覚えた。

 そんな荷物の仕分け作業も終わりが見えたときだった。私は押し入れの奥にしまい込んであった、見覚えすらない一個のダンボール箱を引っ張り出した。縦横三十センチほどの小さな箱だ。フタにはカメラとマジックで書いてあった。私の記憶が少しずつ蘇り始めた。

 私の親戚に、縁者からケムリというあだ名をつけられた叔父がいた。父の弟に当たる人だった。なぜそんなあだ名がついたかというと、煙のように存在感がなく、まるでいるのかいないのか分からないような人だったからだ。

 正月やお盆など、親戚が集まる席ではいつも片隅にひっそりと座り、縁者の会話に加わることもなく、かといってその場に退屈しているわけでもなく、ただ穏やかな笑みを浮かべて、おしゃべりに興じる人々を眺めている。そんな叔父を、私の縁者に倣ってケムリの叔父さんを呼んだ。

 叔父さんの趣味は写真を撮ることだった。時々会うと、自分で撮った写真を見せてくれた。映っているのは時間とともに消えてゆく物や、なくなりつつある風景がほとんどだった。構図だったり光の加減だったり、写真について語るときばかりは意外なほど饒舌だった。それ以外では、いつものようにニコニコ微笑んでいるだけで、何を訊いても手応えのある返事は返ってこない。私にとって掴みどころのない叔父さんだったが、その後私が写真やカメラに興味を持つようになったのは、きっと叔父の影響かも知れない。

 写真以外の話をしたことはあまりなかったが、叔父の人柄を感じさせるエピソードがある。それは私の祖母が亡くなったときのことだ。叔父にとっては母である私の祖母は、私が十七歳になって間もない春に亡くなった。

 出棺が済み、火葬を待つ控室でのこと。久しぶりに顔を合わせた縁者たちは、その始まりこそ個人の思い出ばなしをしんみりと語り合っていたが、酒がまわるに連れ、さながら忘年会か新年会の様相を呈していた。

「年寄りの葬式はお祝い事のようなもんだ」

 誰かのそんな言葉を合図に、あちこちから笑い声が上がった。私にはそれが不思議でならなかった。不謹慎だとさえ思った。肉親が亡くなったというのに、この人たちはなぜこうも愉快に語り、笑い合えるのだろう。私はその場にいるのが不愉快になり、ひとりで外へ出た。見上げると火葬場の煙突から、一筋の煙がのんびりと風にたなびいていた。

「ばあちゃんが空に昇っていくなあ」

 その声に振り返ると、ケムリの叔父さんが立っていた。叔父は続けて言った。

「人はね、ひどく悲しい時には逆に愉快に振舞うものなのさ。そうやって悲しみをなんとかやり過ごそうとするんだよ。みんな本当は泣きたいんだよ」

 叔父はそう言って昇っていく煙を眺めながら、眩しそうに眼をしばたかせた。叔父がそんなことを口にすることが意外だった。私にはその言葉の意味が分からず、叔父の顔を見た。叔父はそれ以上のことは何も言わず、ただその顔に穏やかな笑みを浮かべていた。

 年を重ねたいま、あのときの叔父の言葉の意味が分かるような気がする。それは自分の弱さを知る人間の悲しみに耐える処方なのだろう。

 その数年後、叔父はこの世を去った。従弟から価値の分かる人に受け取ってほしいと言われて譲り受けたのが、このカメラだった。年代物の中判カメラだった。譲られたのはいいが扱い方が分からず、ろくに使うこともなく押し入れの隅にしまいこまれたまま、今日までその存在すら忘れられていた。

 古いカメラと叔父のいきさつを聞き終えた妻は言った。

「ケムリのおじさんは、いつもそんな優しい目で人を見ていたのね。きっとあなたのことも」                         「そうだね。俺も同じことを考えていたよ」

 この先、このカメラで写真を撮ることはないだろう。けれど捨てることはできなかった。なんの役にも立たなくても、身近に置いておくことに意味があるように思われた。きっとそういう物があっていいのだ。そこには捨ててはいけない自分だけの物語があるのだから。

 私はカメラをダンボール箱にしまい、フタを閉じた。そしてまたいつか忘れたころに引っ張り出し、ケムリの叔父さんを思い出すことだろう。

                        ー完ー


 

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