【1人も捨てないが大切だなって思う理由】
いきなり何?って感じだけど、世に出るかも分からない本を趣味がてらに書いているときに思ったので!
そして、そこに書いたことを。
どうして、一生涯の幸せに「1人も見捨てないこと」がつながるのか。
「コミュニティ」の視点から。
正直、学校の「クラス」ってものは異常な集団だと思う。共通の考えがあるわけでもない、共通の趣味があるわけでもない、好きなものも、嫌いなものも全く違う。ただ偶然近所で生まれ、同じ地域で生まれ、同じ時期に生まれただけ。そして、基本的に途中で抜け出すことができない。単学級の場合、その集団でクラス替えもなく6年間全く同じ集団で過ごす。年長上がりから中学生になるまでの時期を全く同じ集団で。学校以外にそんな集団は存在しないんじゃないかって思う。それくらい異常な集団だと思う。だから、中には気が合わない相手がいたり、どうしても好なれない人がいて当然だと思う。だって、例えばサッカー部っていうおんなじサッカーが好きな奴ら同士が集まったって、どうしても合わない人っているでしょ?それなのに、年齢と地域が同じだけで合うわけがないでしょ。だから僕は学級経営するときに「みんな仲良く」とは絶対に言わない。自分だってできないことを求めることはしない。
そんな集団でも「誰とでも協力すること」はできると思っている。職場でも部活でもその辺りが現実的な落としどころ。どんなに好きになれない相手がいても、まあ協力することはできる。
協力し合えるコミュニティーであることがなぜ大切なのか。結論からいうと、「人検索」の時代に入っているから。
情報の共有が簡単にできるようになった現代では、品質や値段に差がつきにくくなっている。
一昔前は、Aのお店の料理がものすごく美味しくて、Bのお店はあまり美味しくないってことが平気であったらしい。でも、今や美味しいご飯の作り方を検索すればすぐに出てくる。材料や工程なんかもすぐにでてくる。一度それを検索したら、連続的にそれに関連した情報が出てくる時代なのだ。何年も選ばれしものが修行を重ねてたどり着いた味を、それっぽく作る方法がたくさん出てくる。そうなると、品質に差がつきにくくなってくるのは当然だろう。料理じゃなくても、同じことが言えるだろう。教師って仕事もそう。確かに単純なものではないけれど、授業、レクリエーション、学級経営などのアイディアは、InstagramやXで検索すればすぐに出てくる。真似をしようと思えば、在り方や人間性はさておいて、それっぽいものを提供することができる。
値段についても同じことが言えるだろう。一昔前は、電気屋さんによって家電の値段が大きく違っていたと思う。「A店では○○円だったから、もう少し値下げして!」 なんてことが普通にあった。でも今や、ネットショッピングが普通。Amazonでも楽天でもそう値段は変わらない。気になるのはポイントと送料くらい。そうなると電気屋さんの値段も大体、ネットショッピングでの値段によって決まる。だってお客さんのほとんどがそれを見ているから。
だから、品質や値段に差がつきにくくなっている。では、僕たちはこれから「何」で買うか買わないかを判断するのか、それが「人」。つまり誰から買うか。
Aのお店も、Bのお店も、よくお付き合いしている山田さんのお店も値段も味もほとんど変わらない。そうなると、お世話になっている山田さんのお店を僕だったら選ぶ。それが「人検索」ってやつ。そうなると、あるコミュニティーに属していることや、あらゆる人とつながりをもっていることが選ばれる大きな理由になる。もつべきは、コミュニティー、そしてつながり。
商売だけではなく、結婚とか家とか車とかも。
実際僕自身が、生きていくために必要そうなものは大体、クラスが同じだった同級生やそこから生まれたつながりで出会った人にお願いしている。
奥さんは、高校の同級生の知り合いだし、家づくりについても幼稚園からの同級生に詳しく教えてもらった。車を買うとなれば、車屋さんをやっている同級生に連絡をする。困ったことがあれば警察官の同級生に相談するし、SNSやYouTubeなどの発信について知りたければそれに詳しい奥さんに聞く。
それ以外にも、美容室なんかはもう決まった人にお願いしているし、車の整備をお願いする人も大体決まっている。果物や野菜を決まってお裾分けしてくれるつながりもある。
そんな風に困ったときに手を貸してもらえるつながりの中で、僕自身が幸せに過ごすことができている。だからこそ人とのつながりの重要性を感じるの。
じゃあそのつながりとか、誰かとよりよく付き合っていくスキルっていつ学ぶの?ってなったら小学校のころからだと思っている。そもそも、なんかの縁で同じ時を過ごすことになったクラスってものが、将来困ったときに手を貸し合えるコミュティーであったとするならば、それだけでかなり生活しやすくなることは間違いない。また、小学校のうちに、そういったクラスを一生涯のつながりをもてるコミュティーに育む過程で、あらゆる人とつながるためのスキルを身につけることができたら尚良いと思う。
とっても長くなってしまったけど、だから「1人も見捨てない」。困ったときに助けてと言えて、困っている人がいたら手を貸すことができる。別にとっても仲良しかって言われたら分からないけど協力はできるつながり。そして、手を貸し合うことが当たり前の文化になったコミュニティー。クラスっていう異常な集団がそうなれば、子どもたちの一生涯の幸せを願う身としてこの上ないプレゼントを送ることになるんじゃないかって。何より、「1人も見捨てない」ってことが、手を貸しあえるコミュティーを創造することになり、そこに属する本人が何より安心で、幸せだと思う。だって困ったらいつでも助け合える人がそばにいる。それでいて、自分も誰かを見捨てず相手に快く手を貸せば貸すほど、その振る舞いを仲間は見ている。より一層助けてもらいやすい状態になる。
一生涯幸せに生きる上で、人とのつながり、そしてあらゆる人とつながるスキルは欠かせない。それを小学校の時期の授業や行事を通して身につけていくために「1人も見捨てない」なんだっていう話。