(デザイン③)なぜ、会計にデザインが必要なのか ~会計の可能性
会計分析は、目に見える数字を分析している。しかし、数字によるテクニカルな会計分析には限界があることを会計の限界でふれた。この “限界がある” を別の言い方にするなら、「今までの会計分析からは、これ以上新しく得られることはあまりない」と言える。
この会計の限界から、「どのようにすれば、会計の限界を越えた新しい何かを得られるのか」という課題がみえてきた。この答えを、探したくなった。
経営をみていく上で大切なことが、「数字のような目に見える情報から、目に見えない情報から何かを感じる」ことに変わりつつある。日本らしい表現をするなら、行間を読むこと。
変化の軌跡という行間から、「何が起き、これから何が起こるのか」を感じることが、求められている。
理性の経営から感性の経営が求められている。
経営をみるとは、“感じる” こと。見るのではなく、“観る” こと。見て感じるではなく、感じて観ること。目に見えるものだけ見るのではなく、目に見えないものを感じて観ること。想定内のものを見るのではなく、想定外のものを感じて観ること。
感性の経営の大切さをわかっていても、頭で考えた通りに進まなくなると、経営に悩み苦しむ。しかし、思い描いた通りに進まないから、経営は面白いとも言える。面白いと感じることで、面白さにある可能性を発見することができる。
「なぜ、面白いと感じることができないのか。」
それは、経営の思考があまりにも直線的で、直線的でない曲線的な変化には対応しきれないから。凝り固まった思考による先入観が、大きく邪魔をして対応できなくなる。考えていたことと違うことが起こるとまず、なぜこんな動きをするのだろうと違和感が生まれる。
残念なことに、思うのは一瞬で、違和感に反応を示さず、違和感をノイズとして消してしまう。
そう、感じることを、考えることを止めてしまう。しかし、気づかないところで問題の火種はくすぶり続け、経営危機に陥っていく。経営危機に直面した会社の多くは、起こっていることを感じることや考えることを止めた会社。
“感じて観ること”、これは経営思想に近く、近年同じようなニアンスの言葉をよく耳にするようになった。感じて観ることで “気づき” が生まれ、気づきから新しい “発見” が生まれてくる。そう、感じて、観て、気づいて、発見する。何かを発見するとは、感じることから始まる。
感じるのは、目に見える情報ではなく、目に見えていない情報。見えている情報からわかるのは、「何ができ、何ができなかった」という結果(事実)だけ。結果だけを求めすぎるとそこで立ち止まり、目に見えている事実の奥に在る可能性にまで意識を向けず、奥にある存在に気づけなくなる。
見えていない情報を、目で見ようとしてもみえない。見えていない情報を心の眼で感じて観て、何かの存在に気づく。そして見えている情報を改めてよくみて二つの情報を合わせることで、今まで気づかなかった存在価値、会社の眠っていた可能性を発見することができる。
今までの目に見える情報だけの会計に頼ることは、もう限界にきている。「感じて、観て、気づいて、発見する」、これはデザインの一つ。会計にデザインを加えることで、今まで考えもしなかった会計の可能性の光が灯る。
デザイン、人によって意味や使い方は違う。デザインとは何かと尋ねても、正解はない。そこには、人の数ほどの答えがある。もし尋ねられたら、「カタチのないモノに意味を持たせること」と私は答える。
このことについては後で詳しく話すとして、デザインを加えることで情報の質が変わる。“無機質” だった会計情報に、“有機的” な意味が加わる。
私の考える日本らしいデザインを加えた会計を、日本らしいアカウンティング(会計)と呼ぶことにした。この日本らしいアカウンティングについて、ふれていく。
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