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図書館であきらめかけていたら司書さんに声を掛けてもらった話。

Twitterでこのエピソードを書いたところ、たくさんの方に興味を持って頂けたようなので少しだけ詳しく書いておこうと思います。

僕はその日、千葉県の柏市に仕事で行っていました。「ショッピングモールに置いてあるピアノを弾いて頂けませんか」という依頼のためだったのですが、レンタカーでドライブがてら行くのも良いかなぁと思って、そのお仕事をお請けしたわけです。ここのところずっと閉じこもっていたので良い気分転換にもなるかな、なんて思ったんですよね。

日曜日だったので、ショッピングモールは大盛況。たくさんのお客さんからのリクエスト曲を弾いたのち、車に戻りました。その日は夜の7時までに東京に戻っていれば良いだけだったので、数時間の空き時間です。ちょっとだけこのショッピングモールを散策しようかなとも思ったのですが「せっかくだから茨城県まで運転してみようかな」などと思い立ちました。それには理由があります。

国道6号線という主要な道路(…日本橋を起点に仙台まで伸びている、茨城県の大動脈)があって、僕は昔、この道路を何度も使ったことがあったんですね。まだ10代の頃です。「茨城県中にあるアパートに設置されている消火器を点検する」というアルバイトをするためでした。とても割がよいアルバイトだったので、俄然張り切っていたものです(笑) 僕は当時千葉に住んでいたので、そのアルバイトをする日は茨城と千葉を往復していたわけですね。なんだか、ちょっとその時のことを懐かしみたくなったというのが理由です。

ショッピングモールから国道6号線に向かい、そのまま千葉県の我孫子市あびこしへ。このまま行って我孫子市を抜ければ利根川を渡り、茨城県に入ります。僕は「どこかに自分が覚えている景色など無いかな」などと、色んな所に注目していたのですが、そこに現れたのが、歩道橋に書いてあった「妻子原」という地名表示でした。最初は読み方さえわかりませんでした。

《妻子原》…読み方はわからないけど、面白い地名だなと思ったんです。だって「我孫子市」の「妻子原」ですよ。「《 I / Grandson / Son / City》の《 Wife / Son / Field》」ですよ。どんだけ続柄推しなんだよって。

「妻子」なんて言葉が地名に使われるのだってきっと珍しいことだろうし、例えば何か古い言い伝えとかで「何かしら訳のある母娘がここで不遇の死を遂げたので…」とか「遠くの地に向かった父を、母娘がここでずっと待っていた…」とか、そういった何かしら「村一番なる古老、天を仰ぎ、涙してつたへり」レベルの逸話が残されているようなニオイがしたんですよね。その日は茨城で名産のうなぎを食べて帰ったのですが、帰ってからもずっと頭の片隅に残ったままでした。うなぎの美味さよりも、「妻子原」のほうが強く。
             うなぎももちろんとても美味しかったです笑

ネットで調べて見ましたが「妻子原さいしはら」という地名に関しては、ものの見事に何も出てきませんでした。遺跡が有ること、公園が有ること、交差点が有ること。これくらいなもの。「まぁしょうがないか」と諦めました。そのまま忘れればそれだけの話だったんですが二週間後、ふとした瞬間にまた脳内に浮かび上がってきたんです。あの「妻子原」の文字が。

もうこうなったら、このムズムズを止めるためには調べに行くしか有りません。都内でも割と大きめの図書館に行きました。通常の本が置かれているスペースからちょっと離れた、金属のバーを押さないと入れないようなエリアに恐る恐る入りました。「ちょっと!そこに入るには事前登録が必要ですよ!」とか怒られるかなと思ったんですが、誰からも怒られませんでした。

地名の謎を解き明かすべく向かった書棚には、一冊だけでも人を殺められるような質量の辞典が揃っていて、各都道府県ごとに一冊。つまり47冊(もしくは48冊…北海道が上下巻に分けられているため…)で日本全国を網羅した地名辞典が、出版社ごとに3種類も置いてありました。図書館の本棚一つの大部分を占めている頼もしい背表紙を見て「これなら勝てる」と思いました。しかし結果は惨敗。ものの見事に「妻子原」という字面じづらさえも、見つけることが出来ませんでした。

金属のバーまで戻って、そのスペースを出ようとしましたがまだ諦められません。少し立ち止まってまた本棚に戻り、一縷の望みをかけてまだ読んでいない本をめくりますが、やっぱりダメ。再度金属のバーまで戻った時に横から「何かお探しものですか?」の声が聞こえ、振り向くと受付にいる女性が僕に話しかけてくれてたんですね。

僕はこんな事を思ってました。「そういえば、司書という仕事があることは知ってる。この人がその司書さんなのかな?どこかに司書って書いてある…?」ちょっとキョロキョロしました。とにかく座ることにします。

そして全てお話しました。ドライブしていたら気になった地名があったこと。ずっと忘れられなくてついに探しに来たこと。でも、自分だけでは何も見つけられなかったこと。途中から司書さんのほうからも「それは確かに気になりますね」などと乗ってくれて、僕も「この方なら探し出してくれる」という気持ちになっていたと思います。「お急ぎですか」と聞かれたので「いえ、いつか答えがわかればそれで満足です」と答え、電話番号を書いた紙を残して帰りました。いつか電話が掛かってきたらうれしいなぁ、と思いながら。

スマホに03からの電話番号の不在着信を見つけたのは、わずか2日後の昼でした。僕は基本、あまり知らない電話番号からの電話は取らないので「またなにかの勧誘かな」と一瞬は思ったのですが、すぐに「あっ?」と思い出して掛け直しました。案の定、図書館でした。「これであの脳内のムズムズが取れる…!」と思うと、お医者さんから完治の電話を受けるのってこういう嬉しさなんだろうかとまで感じていました。

以下、電話で説明を頂いた内容です。

【我孫子市我孫子 妻子原さいしはら
・地名辞典への掲載は無かったが、我孫子市の出している「我孫子市の歴史」の中に「妻子原」を確認したので、我孫子市市民図書館に連絡しました。国会図書館のデジタル閲覧機能での資料も確認しました。
・「我孫子市の地名と歴史」という資料に「地元ではもともと『さいしっぱら』『さいしょっぱら』『さんしっぱら』…の様な発音で呼ばれていた地名のようです。(地名の訛りはきちんと文字化できない部分もある)」
・「その由来は、妻子原がある場所が高台になっているので『日の出を最初に見ることが出来る場所』の意味で”最初っ原”となった説や、『山椒の木がたくさんあったから』の意味で”山椒っ原”となった説を確認しました。」
・「どこかのタイミングでその呼び名に『妻子原』という漢字が当てられ、近代にこの字を普通に読んだ『さいしはら』が地名になったと考えられます。」_____

すごい。本当にすごい。「そうなんですか、ああなるほど、そうなんですね…」と相づちを打ちながら、みるみるうちにムズムズが溶けていくのを感じました。最後に「これより詳しく(なぜ妻子の字を当てたのか等)調べる場合は『我孫子市史研究センター』『我孫子市北まちづくり協議会』から別の資料も取り寄せる方法がありますが、いかが致しましょう」と言われたので、僕は「いえいえ、これで本当に満足しました!ここまで調べていただいて本当にありがとうございました!」とお礼を言って、電話を終えました。

もしかしたら「本当にどうでもいいこと」なのかもしれないのに、一人の疑問に対してここまできちんと調べてくれることが予想外で、本当に嬉しかったです。そして同時に、自分がネットで調べて得られる情報なんて氷山の一角も一角で、きちんと調べに行けばかなりの情報を得られることができるんだなと、頭では分かって居たことなれど、身を持って感じられました。

司書さんって本当にすごいんですね。今度図書館に行って、その説はありがとうございましたと言おうと思います。「うれしい経験ができました」と添えて。


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