見出し画像

D 2 4 U / Dream Donuts For You

『D 2 4 U』

ロッテルダムの港にさっきついた。タバコをふかしている。
再開発により、店を閉めてから早5年。心に穴が開いているような気がして、7つの海を渡り、いくつもの国を巡った。

朝の静かな港を歩いているとドーナッツショップがあった。コーヒーの香りが寝起きみたいに漂っている。店内ではPrinceの『Starfish and Coffee』が薄く、甘く流れている。ソルティドーナッツと珈琲を頼み、港が見える窓際のテーブルに座る。コーヒーカップには店のロゴ、そしてオランダ語でこう書かれていた。

「穴はない。目に見えない何かがあるだけだ」

店を出て、そのことについて考えていて歩いてたら、穴に落ちた。穴の中でキラキラを見たような気がする。

目が覚めたら、自分の部屋にいた。相棒の犬、JJがドーナッツのおもちゃを咥えながら首を傾げ、私を見ていた。
春が過ぎ、常緑の季節になったら、大学通りがある故郷のまちでドーナッツ屋を開く。テーブルの上の紙にメモ書きをした。
「Dream Donuts For You」
JJからドーナッツのおもちゃを取り上げ、じっと穴を見る。涙だろうか、笑みだろうか、そこには確かに、何かがあるような気がした。

『Dream Donuts For You』

青く晴れた夏の朝。少しだけ涼しい。谷保第三公園の近くにある『D 24 U』というドーナッツショップに、まだ眠たい足を運ぶ。
店のドアを開ければ、ドーナッツの甘い香りと珈琲の香ばしい香りが私を通り過ぎ、月の重力になる。私は半分夢の中。甲州街道はもう秋なのかもしれない。
店内ではPrinceの『Slow Love』が薄く、甘く流れている。店の奥では看板犬のJJが寝ている。一瞬こちらを見たが、また眠ってしまった。マスターがうつむいて作業をしている。マスターは前に別のまちでドーナッツショップを営んでいたようだが、再開発にのまれて店をたたみ、その後5年間の放浪を経て、ここに店を開いたようだ。3年前のことだ。そのせいか、マスターのその顔には、いつも物語を感じる。マスターが顔を上げ、「おはようございます」と微笑みかけてきた。
店の真ん中には、まさにドーナッツの形の「わ」のテーブルがある。今日は村上春樹を読んでいるブロンドの女性と、パソコンを丸メガネの奥からじっと見続けている白髪の男性が座っている。あとから誰か来るかもしれないが、この2人と「わ」になって朝を過ごす。
私はといえば、何もせずぼーっと考えごとをするのが好きだ。たまにメモを取る。プリンスや外からこぼれる朝の音に耳を傾ける。

「穴はなくて、目に見えない何かがあるだけなんです」
いつかマスターがそう言っていた。人の「わ」ということについて考える。最近は人の「わ」と言わずにネットワークと言ったりする。「わ」の可能性はなんだろう。その答えは目に見えない何かを囲むことにあるのかもしれない。JJがブロンドの女性の隣に座った。女性は視線は村上春樹に向けたまま、そっとJJを少しだけなでて、ドーナッツを赤い唇にはこんだ。


※上記は『国立駅前 ドーナッツパーク』で配布された、ドーナッツにまつわる物語を楽しむフリーペーパーに掲載された文章です。関係者の皆さま、手に取って頂いた皆さま、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?