小説『未定』#01

「先輩!」

呼ばれて振り返った。二つ下の、同じパートの一年生だった。

確か、名前は…

「…玲さん」

宮沢玲。僕がクラブ見学で演奏したドラムに、同じ小学校の同級生と思しき女の子と遠くから興味を示していた子だ。

「卒業、おめでとうございます。」

「うん、ありがとう。」

強い風が吹き、せっかく咲いた桜の大半がこれから海へ駆り出す海賊船のように地面へと落ちていった。彼女の髪も例外なく揺れていたが、耳にかけた部分が崩れることはなかった。

何秒目を合わせただろうか。そう、ちょうど初めて会った時のように。

静寂を打ち破ったのは、彼女の方だった。

「あの、こんなことをお願いするのもなんなんですが…」

かつての後輩はもじもじし、勇気を振り絞ってこう言い放った。と思いかけたが、僕が死ぬまでこの子は僕の後輩に変わりないのか、と考えて「かつての後輩」と書いた脳内の紙を想像で破り捨てた。

「…だ、第二ボタン、貰えませんか?」

「だ…」

驚いた。仲が悪いわけでもなかったが、特別良いとも思っていなかったのでそんなことを言われるとは思っていなかった。そんなことを頼まれたのは、人生で初めてのことだったので尚更だった。

「第二ボタンが欲しいやつなんて、本当にいるんだな。」

口にしてから、嫌味っぽい言い回しになったことに気付いたが、彼女はそんなことなど気にしていない様子だ。

「先輩は、私にきっかけを与えてくれた人ですから。」

「きっかけ?」

「はい、ドラムだけでなく、シロフォンやシンバルなど色々な楽器を教えてくださいましたし、それに…」

彼女は、風の流れが目に見えるように、目線を逸らした。

通行人が歩く音が聞こえる。ここら辺の地域は十二月になると二メートルを超える雪が降るが、暖かくなってだいぶ溶けてきた。それでも大きめな岩のような雪の塊はあちらこちらに存在し、春の訪れを妨げ、逆らっているようだ。

「分かった。第二ボタン、あげるよ。」

ただ、あげようと思った瞬間に突然こっぱずしくなってしまった。

「ん。」

突き出された僕の胸に対し、玲は困惑した様子だった。

「花と卒業証書持っていて両手が塞がっているから、もぎ取って。」

「も、もぎ取るって…」

躊躇している彼女に、僕はもぎ取る理由を作った。

「ほら、花が落ちちゃう。早く」

良くも悪くも背中を押され、顔を真っ赤にする玲。

「し、失礼します!」

グッ、と勢いよく伸びてからまるで反発係数e=1の角度で跳ね返り、衝撃で第二ボタンが空中に舞う。

後輩は、二次関数の負の大きい係数の状況を考えるような、幅が狭い放物線を描いた第二ボタンを見事にキャッチした。

「ナイスキャッチ。というか、勢いよく引っ張りすぎだよ。」

「へへっ、ありがとうございます!」

こちらが呆れているのもお構いなしに嬉しそうな彼女を前に、どんな顔をしていいか分からなかった。でもまぁ、感謝されているからこれでいいのだろう。

しかし、ボタンをあげるだけで感謝されるのなんて、初めてだ。そして、なんとなくだが最初で最後な気もしていた。






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