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エッセイ:大ちゃんは○○である⑳

大学の退学手続きは驚くほどあっさりしたものだった。
義務教育ではないとはいえ、おそらく高校で退学届を提出するとなったら
担任なり、学年主任なりに呼び出され
「どうしたんだ?何があったんだ?」
「考え直したらどうだ?」なんて言葉をかけられるんじゃないだろうかと思うのだが
退学届を大学の学生課に持っていった時
そこそこの緊張をしていた僕が
「すみません、退学を希望しますのでよろしくお願いいたします。」
と言って事務員さんに退学届を渡すと、返ってきた言葉は
「はい、分かりました。お疲れさまでした。」
のたった一言だけだった。
別に引き留めてほしかったわけじゃない。
「なんで辞めちゃうんですか?」と理由を聞いてほしかったわけでもない。
わけじゃないんだけど、決してわけではないんだけど
あまりにもあっさりした手続き、対応にどことなく寂しさを覚えたものだった。
退学届は自主映画製作サークルの部室で書いた。
サークルのメンバー達に
「東京に行って役者になるから、大学辞めることにした。今までありがとう。」と伝えると
目を丸くして驚く者。
ニヤニヤと笑みを浮かべて聞くもの。
無関心を装おって編集作業を続ける者。
カップラーメンの麺が延びそうになって、慌てて食べ出す者。
反応は様々だったが
「絶対売れてくれよ!」
「頑張れよ!やれるよ、やれる!」
「茨の道選んじゃったね。」
「辞めちゃうんですか。寂しいです。」
「なんか行きそうな雰囲気出してたもんなあ。楽しかったよ。」
とこれまた様々な言葉をかけてくれた。
「せっかくだから、記念に大ちゃんが退学届書いてる所カメラ回そうよ。」
こんな一言がきっかけで部室で退学届を書く僕が撮られたわけだが
丁寧に丁寧に書いて、慎重に慎重に書いた。
そして、書き終わった後はカメラに向かってそれを見せ
「絶対に売れてやるからな!見とけよ!」と啖呵を切った覚えがある。
今現在、大学に自主映画製作サークルが残っているかどうかは分からないし、部室があるのかどうかも分からない。
だが、もしも残っていたとしたらその時のビデオテープも残っているんじゃないだろうか?
あれから随分と長い月日が経ったんだなと、今これを書きながら思う。
あの時の自分に映像を通して会ってみたい気もする。
『あの頃に戻れるなら』なんて一度も思ったことないし
仮にそんなことができたとしても、もう一度人生をやり直すなんて真っ平ごめんだが、
人生で初めて持った大きな目標に向かって動き出したギンギラギンの20歳の僕を、
客観的に見てみたい気もする。
なんにせよ、無事に退学届を受理された僕は
上京に向けて本格的に動き出した。

つづく

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