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note #3〈僕が僕の中に見つけたもの〉

 僕が望んでいたのは、孤独なんかじゃなかった。この不格好な両手に収まるくらいでいい。確かな愛が欲しかった。僅かな燈と微かな温もりを感じられれば、それでよかった。けれどそんなもの何処にも見当たらなかった。


 複雑性PTSDと診断された僕は、2022年9月からトラウマ治療を続けている。実の母親である“あの人”から心理的虐待を受け、自信も夢も生きる意味さえも奪われた僕に残されたのは、
「誰かの為に生きたい。」
 そんな汚れのない心だけだった。僕はただ愛して欲しかっただけだった。

 上手に絵が描けたら「上手だね。」
 テストの結果が良かったら「頑張ったね。」
 学校行事で表彰されれば「凄いね。」
 友達を大切にできたら「偉いね。」
 夢を語った時には「あなたならできるよ。」

 些細な言葉・眼差し・表情・温もり。そういったものを、一瞬でもいい、その瞬間だけは僕だけに注いで欲しかった。けれど僕へ向けられたものは、僕の存在自体を否定する呪いだけだった。“あの人”からもらえないなら他の人からもらえばいい、と僕だけに愛を注いでくれる人を探し求めた。そんな人は何処にもいないのに。学業より、恋愛よりも優先して僕を愛してくれる人を探した。
 そんな僕がどれだけ愛を欲しても、友情は拗れ、恋は無残に散ってゆく。
「僕を愛してくれる人はいないんだ。」
 自暴自棄になり、実家の4階のベランダから地面を眺めるだけの日々を過ごした。

 答えを見つけたかのように思えた愛をテーマにした課題は、39歳の時に急展開を見せる。
 信頼を置く診療所の先生からトラウマ治療を勧められた僕は、臨床心理士のマオ先生の元を訪れた。そこで自我状態療法とアクティブイマジネーションを組み込んだトラウマ治療のワークを積み重ねた。簡単に説明すると、自分の話す時の癖や傾向などを認知して、更に目を閉じ無意識に湧き上がってくるイメージに対して意識的に働きかけていくといった感じだ。
 ワークを開始してから初期段階の頃に、目を閉じて心の中に話しかけると、真っ暗闇からそっと差し出された手を見つけた。常に誰かから愛されたいと望んでいた僕は、この手を取るのは僕以外の誰かであると思い込んでいた。僕を愛してくれる誰かが、この闇の淵から救い出してくれるのだとばかり思っていた。その考え自体がそもそもの間違いだと、このワークを通してようやく気づいた。
「どうして誰も愛してくれないの?僕にも愛をちょうだいよ!!」
 その叫び声は僕のものであるように見えて、僕のものではなかった。心の中の“愛されなかった僕”が、僕自身に向かって叫んでいた。僕を一番愛してくれなかったのは、僕だったのだ。

 トラウマ治療のワークを通して、僕から愛されず取り残された僕たちを捜し出し、そのひとりひとりに愛を注いでいくという作業をひたすら繰り返し行なっている。
「生まれてきてくれてありがとう。僕と出逢ってくれてありがとう。これからもよろしくね。」
 そう声を掛け、それぞれが抱える苦しみに寄り添っている。すると不思議と心の中に燈が灯り、じんわりと温もりが広がってゆく。


 今僕は手に入らなかった筈の愛で、僕の中を満たしている。最強の仲間たちと、僕の中に愛を巡らせてゆくことで、限りない自信とありのままの自分を手に入れることができた。
 僕は思う。愛とは与えるものでも、注ぐものでもない。そして世界の何処を捜してもきっと見つからない。そんなものを、僕は僕の中に見つけたのだった。

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