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ひかげのたいよう#4

“愛情を注がれなかった私”

 私は風変わりな家庭で育った。我が家の変わり具合を説明するには、私の乏しい語彙力では正確性に欠ける。一般的ではなかったと言えば概ねざっくり伝わるだろうか。‘普通’の子育てがどんなものかもわからず、困った時にどう助けを求めればいいのかもわからない。助けてと言う事自体がそもそも恥ずかしいことだと思っていた。そんな場所で育った私には、誰かに愛情を注ぐという温もりが欠けていた。風変わりな家庭環境ゆえに自分の親には頼れない。義両親にお願いすれば嫌な顔せず娘を見てくれるのだけれど、自分の親ではないから遠慮が邪魔してしまう。出産直後の私は特に、娘を誰かに取られるのではないかという得体の知れない恐怖にも怯えていた。そんな私が誰かを頼れるわけがない。気晴らしに何処かへ出掛けても、誰かを頼っても、私の心を覆う曇天は荒れるばかりだった。友達に愚痴を聞いてもらいたかったけれど、きっとみんなもこんな思いを抱えながら頑張ってるんだろうなと思うと何も言えなかった。娘を奪われないように、見せかけの思いやりに負けないように、いつも何かの恐怖に怯えながら娘と二人家に閉じ籠るのが精一杯だった。私の全てを受け止めてくれていた旦那も、無意識に私より娘を護ろうとするようになっていった。それも当然だ。娘はまだ幼い。護られるべき存在だ。そんなことはわかってる。だけど心の中でいつも‘誰か’が叫ぶ。
『私は愛されなかったのに、何でもらえなかったものをあげなきゃいけないの?』
 娘に愛を注ごうとするたびに、その‘誰か’は叫んだ。自分の心の隙間を埋めることに躍起になって、娘へ向けられた愛を横取りしようとした。
『この愛は、ほんとは私がもらえるはずだったんだから。』
とでも言わんばかりに足掻いた。そんな必死の訴えを悪だと決めつけ、‘誰か’の存在を無視し続けた。扉をこじ開けようとする度に軋む音が耳に纏わりつこうが、私には関係ないと言い張った。
 心の中で叫ぶ‘誰か’は、私だった。風変わりな家庭で育ち、愛情の注ぎ方も知らないかつての私。見た目が大人だからと、あの頃注がれるべきだった愛情を誰もくれない。悪意のないフリをして、誰もが口を揃えて娘が可哀相だと言う。満たされない心と、娘を護りたい気持ちが反発し合う。心に吹き荒れる嵐は更に勢いを増してゆく。抑えの効かなくなった感情は暴れ出し、ヒステリーを起こすようになっていった。雷のような尖った感情で周囲を攻撃し続けた。
『愛してって言ってるじゃん。なんでわからないの?私にも愛をちょうだいよ!』
 毎日のように聞こえてくるその声に耳を塞いで、やりきれない思いをぶつける場所もなく、心が壊れてゆく。月日を追うごとにヒステリーの頻度は増していき、娘にも当たるようになってしまった。まだ喋ることもままならない幼い我が子に、大きな声で怒鳴り散らしたりもした。私が怒鳴れば娘は泣き出す。その泣き声が、私を責めているように聞こえて耐えられなかった。
「うるさーーーーーーーーーーーーーい!」
 金切り声で叫んでも、昂った感情は一向に冷めない。娘を見ていると今にも殴ってしまいそうだった。苛立ちが収まらない時は一人になりましょうと教わったことを思い出し、娘を一人部屋に残し廊下へ避難する。私がドアを閉めるや否や、娘は更にぎゃんぎゃん泣き叫ぶ。それに比例するように私の苛立ちも増してゆく。仕方なく娘がいる部屋に戻り、私に泣いて縋る娘を一瞥した。次の瞬間、私は何をやってるんだろう?と急に虚しさが込み上げた。やりきれない気持ちを抱え一人涙を流す私に
「つらい。つらい。」
 言葉を覚えたての娘が、そう言って背中をさすってくれた。こんな酷い母親にどうして慰めをくれるのだろう。見た目ばかり大人になっていく私は、目の前の幼子よりも心が独りよがりで汚れていた。カタチに出来ない謝罪の言葉を何度も心で呟いた。
ー私がお母さんでごめんね。怒ってばかりでごめんね。怖い思いさせてごめんね。
 敢えて心の中で呟いたのは、“愛情を注がれなかった私”へのせめてもの償いだったのかもしれない。どれだけ謝っても、再び怒りが暴走すると手が出そうになることはある。同じ過ちを起こしてなるものかと堪えたのも束の間、私の怒りは矛先を変え、うっぷんを晴らすかのように物へ当たり散らすようになっていった。問題の解決にはならないけれど、ほんの少し気持ちが楽になる。ある時は大きな音を立てながら思い切り鏡を割ったりもした。私の心も今、この鏡のように粉々に砕け散っていると誰かに知って欲しかった。けれど理解してくれる人はいない。向かうべき場所へ辿り着けないまま、この苛立ちはいつまでも収まることはなかった。

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