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note #2〈いつかの君に届ける為に〉

 私には6歳の娘がいる。実の母親から存在自体を全否定されて育った私には、娘に愛情を注ぐことが上手くできなかった。誰にだって上手くできないのだから、不安に思うことなんでないのに
「私が母親なんかになったから…。」
 そう自分を責め続けていた。私は母親からの愛を感じられなかったから、自分の娘には“ちゃんとした愛”を注いであげたい。そう思えば思うほど、心の中は引き千切れていった。千切れてバラバラになった心を掻き集めては、無理矢理くっつけて、心を元通りにしたフリをしていた。

 ある日、言うことをきかない娘を殴ってしまいそうになった。私がそうされてきたように、言葉で怒鳴りつけ、殴り、服従させようとする自分がいた。

ーこれじゃあ“あの人”と同じだ。

 娘に、私と同じ苦しみを味わって欲しくなかった。それは紛れもない娘への愛からだった。私は必死で病院を探した。今より少しマシになればそれでよかった。そんな必死な私を見ていた友達がいい診療所を紹介してくれて、通い詰めること3年。私は複雑性PTSDとの診断を受ける。

 現在、診療所とは別の場所で、臨床心理士のマオ先生と共にトラウマ治療に取り組んでいる。そのトラウマ治療も
「もう治療をやめても大丈夫と言う所まできている。」
と言われるほどに、私は変われた。変わったと言うよりは、本来の自分を取り戻した、と言ったほうが正しいかもしれない。

 こんな私が娘を育てながら日々思うのは、命を育てると言うことは容易くなく、娘を大切に思えば思うほど、親子の気持ちはすれ違っていくということだ。
 実の母親から愛をもらえなかった私は、愛とはもらえないものだと思っている。

 欲しても手に入らず
 あげようとしても受け入れられず
 体現しようとしても全てを曝け出せず
 同等のモノを期待しても返ってこない
 矛盾と不釣り合いとすれ違いの連続

 親になって初めて気づいた。私は娘を大切に思うあまり、自分の失敗と経験から様々な感情を知らず知らずのうちに押し付けてしまっていた。
「あなたが大切だから言ってるの!」
 叱りながらも、この台詞を何度口にしたことだろう。娘が生きる今は、私が生きた過去じゃないのに。自分の感情を押し付けておきながら
「あなたを愛してるの!」
だなんて。そんな一方的な愛を娘が受け入れてくれる筈もなかった。

 私はあなたを愛してるよ。
 あなたにはたくさん幸せになって欲しい。
 でも、人生は失敗の連続。
 大粒の涙を流す日もあると思う。
 できるだけ影から見守るようにするね。
 あまり口煩く言わないようにもする。
 だけど、あなたが生きることに躓いた時は
 「あなたなら大丈夫!」
 「一緒に乗り越えていこう。」
 そう言わせてね。

 そんな想いを、いつかのあなたに届ける為に、今は少し我慢してそっと見守っているよ。

家族の思い出

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