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「認めたくない」思いを認識する

人生をより良くしたいとき、陥りやすい事があります。
「いいこと」だけをしたくて「いいこと」だけを考えたくて
「いいひと」になろうとする。

いい事だけを考えるっていうのも、「望むこと考えた方がいいんでしょ」って感じるかもしれませんが…
ここで言っているのは、望む事ではなく言い換えるなら「世間的にいい人といわれそうなこと」とも言えます。

ネガティブをダメだとしたり、
実は握りしめている思いがあるのに、顔は笑って優しそうな言葉を語る。
それって、そもそもいいひと?
それに何より、自分に優しい事ですか?

私は、人に嫌われると嬉しいです

なんて人は、きっといないと思いますが…
嫌われてもいいという強い思いがある人は、中にはいらっしゃると思います。
嫌われてもいいとは、ひねくれたり開き直っているというわけではなく
人にどう思われようが…っていう、自分を生きようとする強さがある人です。

私も、自愛を通してかなり「人がどう思おうが…」が育ちました。
顔色ばかり見ている割に、もともとの性格(性質?)で人に完全に合わせることもできないという謎の拗らせを発動させていましたが(笑)
今の私からすると、「人に無理に合わせない」というもともと持って生まれたものが宝物のように感じているわけです。

人に合わせられない自分がだめだと、ずっと思っていましたが
(社会的に最低限の協調性などはもちろんありますが(笑))
それを良しとしたら、それを「面白い」ってむしろ好んでくれる方が断然増えました。

だって、それも私の個性です。
そう自分が思うから、そういう人が現れる。それがこの世界の仕組みだから。
一つ一つ、ダメだと思っている自分を見付けたら
「本当にダメなのか?」っていう問いをする。
そこに何が隠れてるのか(恐れとかね)を見る。見なくても気づいてすぐ手放されることがほとんどですが…
そうやっていると、現実って本当に関係ないなっていうのが分かってきます。

人が何を言おうが、自分の価値は変わらないし
その人にそういわせているのも自分。初めから嫌な人はいないし、
その傾向が強い人(その人の問題が大きい)は自分次第で変わったり離れます。
そうなると、内側を見つめる以上大切なことはない!

いい人にならない方が、愛される。

それなのに「あの人がああだから」と言い続けている人が、多いこと。
(これを、正義と勘違いしていることも多いです←過去の私だね(笑))
それも、自由です。だから、それはそれでいい。
でも、あなたが自分を変えたいと思うなら
(これを読んでいるという事は、少なからずそうなはず…)
あなたの中にもそのように思っている自分をごまかさないで(あの人とは違うとかね)認める。
目の前に現れ心が反応したなら、何か自分にもあるはずです。
認めたなら、変えられるし変わるきっかけにできる!

嫌だと感じる自分を認めたくない人ほど、誤魔化しがちですが
そういう自分をごまかして誰かのせいにしても現実は変わらないから。

ここは自分を変えるうえで、さけられない道かなとは思います。

人は関係ないとは、自分の内側の思いを無視して
あの人のせいにするではないんです。
そういう節があるか、何かに反応しがちな思い癖があるか
何にせよ自分に手放すものがある、意識を変えるチャンスがあるという事です。

言いたい人には、言わせておこう。
(実際、言われたら心は揺れるけど(笑))
それくらいの心境にまで、連れてきてくれた自愛って本当にすごいなっておもいます。

自分の中の愛が増す=自分の軸が強くなる=私が強くなる

この強さは、戦い抜く強さとかそういうのではなく
誰かを守ることも勿論できる強さになるから。
強さ=優しさ
でもあるのです。

だからこそ、まずは自分がしたくない事をしてみる(抵抗ない範囲で)は重要案件です。
自分が変わるごとに、びっくりするくらい出てくるから…
ええ…こんな思い込みあったの?とか。こんなこと思ってたんだ…とか。
全部全部、ダメだししないで認めてあげたらまた、自己愛が増します。


あなたは、自分が大きく変わるチャンスつかむ?つかまない??

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