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人の顔色を窺いすぎる原因

必要以上に、人の顔色を窺ってしまうことが多い。
しかも無意識に。

そんな自分に気がついたのは、会社を辞めてしばらくしたころだった。

役所などで分からないことを聞くとき、やたら「変なことを聞いていないだろうか、うまく伝わるだろうか」と緊張する。ひどいと相手に遠慮して、聞きたいことの3分の1を諦めるなんて情けない事態にも遭遇する。

なぜか、分からないことを聞くのが怖いのだ。

掘り下げて考えてみると、私はどうやら「間違える」のが怖いらしい。
間違えると変な人だと思われたり、怒られたりする。そんな思い込みがすごくあって、必要以上に遠慮したり、いい人でいようとするようだ。

思い当たる原因としては、小さいころ怒られてばかりだったこと。

いろんな大人に怒られたが、特に母。昔の母はいつもイライラ、余裕のない様子だった。母子家庭で経済的に大変だったせいもあるが、基本的にヒステリックだった。

最近、叔母と飲みにいったとき、私が妹に比べ怒られていたことが話題に上がった。叔母の記憶には、『幼い妹を抱きながら私を怒る姉(母)』が強く印象に残っているという。

「きっと、妹は怒るとギャン泣きして面倒だから怒らなかったんだと思う。逆に顔に出ないあなたは、親としても怒りやすかったんだよ」

「本当は、親はそんなことをしてはダメ。その子の特性を考えて、顔に出ないから傷ついていないわけじゃないことを理解しないといけない」

「お姉ちゃん(母)が未熟だったんだよ」

この”未熟”という言葉が、不意に、私の心を救った。

怒られるのは、私のせいだと思っていた。いつも納得できない部分はあったけど、怒るということは私が何かしたんだろう。怒られないようにしたいけど、どうしたらよいか分からない。

当時の幼い私が、困惑の中で生活していたことを思い出した。

そのことを思い出すと、自分が日常的に不安を覚えやすかったり、イラッとしやすかったりする原因が見えてくる。

例えば、先ほど挙げた「役所で分からないことを聞く」のが不安なのは、母の怒りのスイッチを窺っていた癖が発動するせい。

走り回ってギャーギャー騒いでいる子どもと注意しない親を見てイライラするのは、妹を甘やかす母を思い出すせい。

親に何でも買ってもらい、感謝もしない女性(なぜか男性だと平気!)を見て不快感を覚えるのは、妹ばかり欲しいものを買ってもらって悔しい思いをしたせい。

こうやって幼い私の心についた傷は、今でもしっかり残っている。

もちろん、親も人間だから完璧な子育てなんてできない。自分の人生で上手くいかないことを「こんな育て方をした親のせいだ」なんて考え方も好きじゃない。

どんな親も、子どもの心に傷をつける。きっと私が親になっても、どこかで子どもを傷つけてしまうに違いない。

だから、人は大人になってから「私はあれが辛かった」と気づいて、何らかの方法で傷を癒していくしかないのではないか。理由は分からないが、人生にはそういう時期があって、今、私はそういうフェーズを迎えているのではないか。超えた先に、何か面白い変化があるのではないか。

そんなことを思った。

私は母を恨んではいない。むしろ感謝しているし、大好きだ。最近、母は大嫌いだった仕事を辞め、病気と付き合いながら「本来の母」に戻ろうとしている。ずいぶん可愛らしく、愛おしい母になった。

母自身も、長女というだけで厳しく育てられた子どものひとりだ。

『人は親になると、子どもに対して親と同じ怒り方をしてしまう』らしい。その連鎖を、私は断ち切れるのだろうか。

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