見出し画像

『普通』をやめたら生きやすくなった

長いあいだ、自分のことが嫌いだった。
なぜなら『普通』でいられないから。

私の思う『普通』は、社会でうまく生きていけるスキルを指す。例えば、人間関係がうまくやれる、要領が良い…など。

それがない私は周囲から浮き、人には怒られ、毎日がほんのり苦痛という残念な幼少期を送った。

結果、生活の中でコンプレックスが山のように湧いてきて『顔も嫌い、性格も嫌い、私になんか生まれてきたくなかった…』なんていう超絶ネガティブ人間になるハメに。

そんな私が28歳あたりから、グンと生きるのが楽になった。
きっかけは『会社・婚活・人付き合い』をやめたこと。

どうやら私は、人とたくさん関わると異常に疲れる性質らしい。がんばって社会に順応しようとしてきたせいで、気がつかなかった。

友達は多い方がいい、仕事は完璧にできなくてはダメ、人に迷惑をかけてはいけない、彼氏がいないと恥ずかしい…などなど。

自分にいろんな制約をかけて、それができない自分を責めては「嫌い」と思う。

私は社会的に不適合な性質だ。
それを、ずっと分かっていたのに認めたくなかった。認めたって状況は変わらないし、この社会で生きていくしかないんだから!みたいな気持ちで。

でも、どれだけ意地を張ったって性質は変えられない。実際の私はひとりでいる方が落ち着くし、仕事は「よく分からんルールの中で、どうにか平和にやり過ごすだけの場所」だったし、婚活5年しても彼氏はできないし。

社会で一般的に良しとされている生き方をすると、がんばっても人とズレる。『普通』は私に向いていない。

それに気がついたら、日々は楽だし、彼氏ができて結婚できたし、何だかトントン人生が進んだ。

自分のことも、ずいぶん好きになった。持ち前の感性のおかげで、たぶん人の何倍も物事に感動できているし、小さな幸せを見つけて幸せに生活できている。

友達は「ちょっと違うな」と思ったら距離を置くようにして、ふと「会いたいな」と思ったら連絡する(だから数年に一度になる)。

以前は「友達が少ないのだから、連絡をくれる人とはちょっと違和感があっても付き合おう」という損得勘定から我慢していたが、その時点ですでに友達ではないのでやめた。

現在は夫の転勤で1年ごとに転々とするので、物理的に誰とも会えず、余計にストレスフリーだ。日中、ほぼひとり、最高。

とはいえ、この性質が社会で生きにくいことに変わりはない。今は専業主婦でやっていけているけど、これからは分からない。働いていたら人との関わりは避けられないし。

でも、今現在は幸せで穏やかな日々を送れている。『普通』じゃない私でも。

これは私の持論だが、何かに合わせて生きるのをやめると、自分にあった人生の流れがやってくるような気がする。

図らず自分に合ったパートナーが見つかったり、平穏な生活ができたり…人によってはそれが仕事や友達かもしれない。

この説に根拠はないが、確信はある。

この記事が参加している募集

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?