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一九三六年 屏東⑵ ー ホモセックスで肛門を大怪我

悪賢いパイワン族

屏東市若松町の中に見本蕃屋なるものがあってここで蕃人と会う事が出来ると云うので見てみる事にした。南湾の蕃人には貴族と称する頭目と平民の二種があり、大武山岳に大小多数の蕃社がある。見本蕃屋に居る蕃人は自分を平民出身であると云い、農業は幼稚であるが工芸を好むので民藝数寄(すき)であれば着目すると好いと云い、傍らの蕃女が身に付ける瑠璃玉を見せびらかしてきた。蕃人は朗々たる日本語で身上話を語る。自分は今上天皇陛下がまだ東宮におわしました頃台糖を行啓せされた時に御下問を賜る光栄を得たと云い、無窮の皇徳に浴する感涙を語るも、其の舌の根の乾かぬ内に今度はコーヒ豆を売りつけに来たのだった。此の豆は金槌で潰し、濾袋に入れ、湯で通し、砂糖を入れて飲むと旨いと何度も云い、要らないと云うと今度は日本語が解からないと返されホトホト困る。結局二袋買った。

ホモセックスで肛門を大怪我した朝鮮人

ところで近来蕃人でも生や熟とに分けるのはけしからんとの事で、秩父宮殿下の御発案により前年(昭和十年)高砂族と云う目出度い名前が付けられたが、(※此の数行文字が消されている為解読出来ず。但し「馘首(かくしゅ)」と解読出来る部分がある為出草の風習を述べたものと推測)、大武(山)西麓のパイワン族蕃人某社に黒々の風習があって、青少年同志が互いの陰茎を口に含み快楽を得る者が多いと云う。日本の男色衆道と異なり女役は存在せず専ら快楽の遊戯に浸る事を旨とするが、過去隣社の男を鶏姦(けいかん)し大事件となった事もあるそうである。此の話には続きがあって、或る鮮人が陰茎の快楽を得る為此の蕃社に赴くも肛門を大怪我し陸軍病院に運ばれ大馬鹿モノ笑いとなった由。

屏東の売春は日本の半値

夕刻宋君と落合い、八十五番の料理屋日春楼の座敷で遊ぶ事となった。屏東は糖業において台湾第一の殷賑を誇っているだけあって酒に女の似合う町であり、料理屋も日春・井筒・梅園・朝鮮等と粒よりであるが、芸者や年増が少ないのが悩みと云う。内地の半玉崩れでも磨き様によっては屏東で立派な芸者として通用するのだから、力試しに来てみるのも好いだろうと自分は思うのだが、娘達はやれ疫病マラリヤの地だのやれ文果つる地だのと恐れて仲々そうは行かない。しかしながら屏東には内地出身の上等芸者が五人、台湾人の上等芸者も五人いて屏東名物の娘子合戦が行われているのである。料理屋には芸者半玉は勿論、カフェの酌婦や日本人台湾人朝鮮人蕃人支那人の娼妓までもが五族協和し夜の灯の王道楽土を築いているが、娼妓は朝鮮美人がやや優勢である。元々屏東を目指してやって来た者は皆無で、高雄辺りから拠ん所無い事情により流れてきた者が多く、内地の悪徳新聞に過去の不祥事を散々書かれた女もおり、且つ性悪女も多ければ花柳病も多いので相当に気をつけねばならぬ。最近の内地では女がだぶついている為一夜の値段が下がっているが、台湾の田舎では日本のほぼ半値である。

菊正宗と老女の口噛み酒

酒は全て専売局によるもので、台湾では灘の生一本白鹿菊正宗があるが相当に貴い。台湾の清酒は蓬莱米で作られた瑞光が佳く、福禄は合成酒である。ビールには高砂とライトがあるがいずれも可である。此の他支那酒洋酒もある。蕃地では処女或いは閉経後の老女が米を口で噛み酒を作ると云うが、こうして醸した酒は連杯を持ち双人で飲むのが習慣であると云う。尤も台湾では晩酌と云う習慣を見かけない。そう云えば宋君も酒を口に入れない。もしかすると台湾人より蕃人のほうが上戸なのかも知れぬ。折しも横では総督府役人の慰安会が行なわれており、ソレ突けヤレ突けヨヨイノヨイの女声男声が混じり甚だ下品であった。(続く)

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