ロシア語一日一善(277)

レフ・トルストイ編著  八島雅彦訳註  東洋書店から

Человеку не может быть доступна цель его жизни. Знать может человек только её направление

試訳
人間はその人生の目的に到達することはできない。人が知れるのはその方向だけだ。

Человеку がどうして与格なのか一瞥しただけでは確定できない。とりあえず「意味上の主語かな」くらいに思って読み進める。доступна が形容詞女性形の単語尾であることから、すぐ後のцельにかかることが推測できる。単語尾だから定語的用法ではなく、述語であることに注意して整理すると、цель не может быть доступна 「目的が到達的であることはあり得ない」が文の骨格であることが分かり、ここで Человекуは「人間にとって」という述語が及ぶ範囲を示す用法であることが分かった。его жизни は цель にかかる生格。「人間には人生の目的が到達できるものであることはあり得ない」次の文も語順が普通と違うが、主格のчеловек が主語だというのが一発で分かるのがロシア語。её は цель を指している。この語順の意図は、только её направление に力点を入れるところにあると思われるので、訳文でも最後に持ってきて「人間が知ることができるのは、その方向だけだ」とする。

ロシア語では与格で表示されている「人間には」という範囲の限定は、その背後に「神」が念頭に置かれていることを思わせる。トルストイのことだから、ここでの「人生の目的」はきっと神の教えにしたがって生活することを指しているんだろう。現代でも、たとえばアスリートとかが、何か大きな大会でトップに上り詰めても「終わりなんてありません」とでもいうように次なる目標に駆動され続けているように思う。目的を達した瞬間に次の目的がもう出現している。人生というスパンでこれをとらえた時、まさに「人生の目的は到達できない」という命題が真になる。目的はそれを追い続ける焦点として機能するのであって、達成するものとして存在しない。




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