ロシア語一日一善(298)

レフ・トルストイ編著  八島雅彦訳注  東洋書店から

Надобно бы было включить вечную праздность в муки ада, а её-то, напротив, поместили среди радостей рая
Монтескье


Надобно бы было включит:「組み込む必要があったのに」бы があるから「本当はその必要があったけど、実際はそうならなかった」というニュアンスを感じる。ただし、これが過去のことかどうかはまだ分からない。вечную праздность в муки ада「無限の退屈を地獄の苦しみに」а её-то:её が何を指しているのかが問題で、女性名詞であることには違いないから、вечная праздность のことだということを念頭におく。напротив, поместили среди радостей рая:「反対に、天国の喜びの中に置かれていた」

試訳
無限の退屈は地獄の苦しみに入るべきであったのに、逆にそれは天国の喜びの内に置かれてしまった。
モンテスキュー

八島雅彦訳と比べてみる。

永遠の無為は地獄の責め苦に含められるべきであろうに、反対にそれは天国の喜びに入れられている。
モンテスキュー


私は過去形で訳したが、надобно бы было のところは必ずしも過去とは限らないし、поместили も過去形ではあるけれど、完了体だから「置いたという状態が過去のある時点で行われて、それが完了してその状態が現在まで続いている」ということだから、日本語では「入れられている」のような訳し方が正確かもしれない。永遠の無為が天国の喜びに入れられたのが、発話時の前ということはあまり問題になっておらず、むしろ今もそうであるというある種の真理を意味しているので、こういう訳になるのかもしれない。過去形完了体は現在との関係を匂わせる形式だという認識が足りなかったな。

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