花束を持って駆けつけてくれる恋人も、一生頭が上がらない恩師も、別れを惜しむ友達も居ないけど。

卒業御目出度う、じぶん。  

学校から去年4月に配られた年間予定表通りに進めば、
本当は卒業式だった。
中止になってしまった事に対して文句を言っても仕方がないので受け入れているつもりで、
「コロナ」という得体の知れない、分からないモノが結局この世でいちばん怖い。
それでも地球は回ってるし、日本は動いているし、お店は営業しているし、アルバイトは出勤しなくちゃいけないし、「コロナのせいで仕事が無くて〜」とか言いながら客単価5000円前後の当店に足を運んでくださる"お客様"の様な人生を歩みたかったと思いながら。  

今日はココに文句を連ねる為にアプリを開いたわけじゃなくて。
昨日をもって16年間ぶら下げた「学生」の肩書きが回収された。  

"学生"というレッテルを貼り続ける16年間の
始めの小学1年生の時から、
私は"学校"を好きになれた事がなかった。
誰かとずっと一緒に行動を共に事が出来なくて友達も少なかったし、先に生まれただけの知らない大人の言う事に「ハイ」と素直に頷くことも出来なかった。部活 テスト勉強 何かに打ち込んでいる人や、誰かと一緒に居なきゃダメな人、何でもないはずだけどキラキラした日常、所謂「青春」の全部をナナメに見ていた。大人の話には逐一ツッコミその度に揉めた。大小あれど挙げるとキリがないくらい 沢山の問題が発生した。
「みんなといっしょ」ができなかった。
じぶんには”向いていない”空間だった。
生きづらくて苦しかった。

不登校でも、修学旅行に行かなくても(返金されたラッキー!)、先生と揉めても、友人関係が上手く出来なくても、成績が悪くても、無許可バイトがバレても、何があっても毎日お弁当を作り続けてくれたママには文字じゃ書ききれないくらいの感謝で一杯且つ一生頭が上がらない且つ足向けて寝れない、有難う御座いました。

今まで"学校"で出会った誰かの誕生日や記念日を祝ったことも祝われたことも無い。
だから、「おめでとう」なんて言葉や感情を交わした経験がない。
でも、これを以てナニからも卒業する事が多分ないし、お目出度い事もとうぶん無さそう。
もしかしたらちょっと寂しいかもしれなくて、
今更しても仕方ない沢山の小さい後悔は見ないフリをして、
貼られて窮屈だったはずの"レッテル"が剥がされた明日からが漠然と不安で、
頭の中はずっと濃い目の灰色で。
せめて、
「御目出度う、じぶん。
よくがんばりました、120点」
ハナマルをあげて、今日で何者でも亡くなるジブンは、真っ暗な道の上を。
正に一寸先は闇で。


卒業生は起立して

代表者は登壇して?

ランドセルも、制服も、学割も、
臙脂色も、緑も、青も、黒も、
ぜんぶ、さようなら。  

今日も、私は。

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