「世間のみなさま。うちの娘をどうかよろしくお願いします。」という話
今年に入ってから不思議な体験をしている。
Twitterでちょくちょく若い人から悩み事の相談DMが届くようになったのだ。
なかには女性からの相談も含まれていて、
「正直こんなおっさんになぜそんな若い女性から??」と戸惑うのだけれども...はっきり断言しておく。
若い女性から頼りにされてうれしくない男がいるだろうか?いや、そんなものはいやしない。
イタズラかも?という線も捨てきれないので探り探り話を聞くわけだが、内容の具体性や、やりとりの回数をみるにそういう可能性はどうも無さそうである。まあ、イタズラならイタズラでもこちらは構わない。どんな話を持ってくるのか?というのも興味深いからだ。
驚くことはもうひとつある。
全く面識のないひとから相談DMがとどくことだ。
どうも、noteやYouTube経由で自分にたどり着いたようで、過去にTwitter上でもメールとかでも一切やりとりをしたことがない。それなのに「なぜ自分のところに??」となる。
何人かの女性の相談者が口を揃えたかのように言った。
「ほかに相談できる大人のひとがいなかったんです」
これも時代性なのかもしれない。
相談の内容によっては親に話しづらいものも含まれている。正直、全く知らないひとの、親も知らないような相談話を、はじめましてのすぐ後に聞くとは。誠に不思議な話だ。本当に自分が聞き役でよいのか?いまだにわからない。
彼女たちの話を聞いていると「この子たちにもお父さんはいるんだよな」と当たり前のことを思う。そして「うちの娘も大きくなったらこんなふうに悩むのだろうか?」とも。
我が家にはひとり娘がいる。
ついこないだまで赤ん坊だったのに、もう来年には小学生になる。あまりにも早すぎやしませんかね?子供の成長とはこんなに早く感じるものなのか。
すでに彼女の通う保育園のおともだちや先生の名前は、自分には覚えきれない。これからきっと小学校、中学校、高校と成長していくにつれ、私たち親の知らない世界へと彼女は飛び出していく。どんどん手を離れて遠くへ遠くへ行ってしまう。
子育ては親の責務である。
しかし、どこまでも親がついて回れるわけではない。親には手も足も出ない領域は間違いなく存在する。そこに彼女は単身で乗り込むのだ。肝心な時に、ジャストなタイミングに、親がいてあげることができないこともあるだろう。そんなことを考えると、案外親も無力なんだなと悟る。
親の知らないところで、親の知らないひととふれあい、親の知らないところで成長していく。もちろんポジティブなことばかりではない。悲しんだり悩んだりすることも彼女を待ち受けている。親には言えないこともきっとある。
ならば、親ではできない支えや、励ましや、気づきを誰が彼女に与えてくれるのだろうか?
それはきっと「世間」だ。
娘はやがて「世間」にも育てられる。
彼女が出会う友達や、先生や、同僚や、上司は、「世間」の代表者だ。あるいは彼女が触れるだろうカルチャーもそうかもしれない。ネット上で交流する会ったことのないたくさんの人びともきっと含まれるだろう。
私たち親の見えないところで出会う「世間」のみなさま。どうか、娘をよろしくお願いします。至らぬ娘ですが、何卒良き方向へお導きください。
ひとりの親として心からそう祈っている。そして、親の知らないところで彼女が出会ういいひとすべてに感謝の気持ちを忘れてはいけないと思う。
若い女性からの相談DMのやりとりしている時、ハッと気がついたことがある。
「そうか」
「いま、おれが、"世間"なのか」
わかったよ。
見知らぬ誰かの大切な人にとって、なるべくよい"世間"でいるよ。だからお願い。うちの娘のターンが来たら頼むね。
どこかに徳を積むような気持ちで、DMを返信するのであった。
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