漫画「ブルーピリオド」に見る、「ありのままの人生」をクリエイトするためのヒント
去年、僕の心に染み渡り、僕の人生をシフトさせた曲が、2曲あった。
その一つは、YOASOBIの「群青」と言う曲だ。
YOASOBIは、「小説を音楽にする」ユニットであり、「群青」は漫画「ブルーピリオド」(山口つばさ/講談社)が原作になっているらしい。
それがきっかけで、先日アニメの「ブルーピリオド」を見始めた。すると、「ありのままの人生」を生きるための格言があったので、その点について書いてみたい。
「ブルーピリオド」とは?
「ブルーピリオド」の公式作品紹介をそのまま引用すると…
…である。
美術や美大受験と言うテーマを扱うという点で新しさはあるのかもしれないが、まあスポコンとは言えばスポコンだ。(ちなみに僕は、ほとんど漫画やアニメを見ないので、評論するつもりもない。)
美術家が持つ、自分独自の世界観の表現の話
僕にとって、「ブルーピリオド」は…
…だ。(まだ、全部見てないけど…笑)
心の内に、ただ「ある」ものを、ないものとして見過ごさず、そして、正しい・間違っていると言う判断を捨てて、ただただ素直に形にして表現する。
この、内に「ただある感覚」に心を開き、その感覚を頼りに、その感覚に正直に生きる。と言うことが、実はありのままを生きることを表現している様に思う。
「ありのまま生きる」とは?
「ありのまま生きる」は、要は「『ある』もののままに生きる」ことである。
以下の記事でも取り上げたが、「ありのままの自分で生きたい」と言う人が一定数がいる様に思うが、自分の中にある好きな自分、都合の良い自分だけをかき集めてきて、理想の自分像をでっち上げて生きることは、「ありのまま」を生きることにはならないと僕は思っている。
自分の中に、あるものを…それが仮にクソ社会不適合な感じだと思い込んでいる、「物凄いエッロイ感覚」だったり、「超絶メンヘラな感じ」だったり、「強欲なもの」だったり、「自分勝手な自分」だったり、それらが「全てあるんだね。全てあっていい。」と自らが受け入れて、そこから表現をしていく。それがありのまま生きることなんだと思う。
余談ではあるが、あえて補足すると、「物凄いエッロイ感覚」「超絶メンヘラな感じ」「強欲なもの」「自分勝手な自分」を受け入れるということは、そこから「エロいことをする」「会社を休む」「金銭を奪う」「身勝手に振る舞う」と言う行動を取ることと、イコールではない。そんな側面、そんな自分が、「自分の中に構成する一部としてあるよねぇ〜」と、良し悪しを判断せずに、ただただその事実をインクルー恥部してあげること。そうすると、心が自由になれる。心が自由になると、そこから今の自分を幸せにする最善の行動を選択できるようになる。
「ブルーピリオド」のキャラクター達は、自分の中に「ある」感覚に耳を傾け続け、それを作品という形で、表現しようとしている。
そして、そんな話の中に、「ありのままの自分」を生きるための格言があった。
僕をノックアウトした美術の先生の格言
ブルーピリオドで、僕をノックアウトした格言がある。
主人公が、自分が絵を描くことが好きなんだということに気づき、もうその気持ちに嘘がつけなくなってもがいていました。
絵をもっと勉強したい
だから美大に行きたい
でも、美大に行って飯を食える保証はない
絵を描くことは趣味でいいんじゃないか
プロ目指さなくても美大に行かなくても絵は描けるし…。
ガチでやる意味ってある?
そして、主人公は…
…という疑問を、美術の先生にぶつける。
そして、美術の先生が言い放った言葉がこちら。
確かに!!!!!!!
おっしゃる通りです!!!!!!!
好きなことに人生の1番大きなウェイトを置かないのは、めちゃくちゃ不自然!!!!
「好き」が、頑張るための最大の動力源かも???!!!!
そんな生き方して、そんな大人の背中を子供に見せて、どうやって子供に希望溢れる未来を示せるんだろう????
そして、主人公の…
…という寝ぼけた質問に、美術の先生は…
…と、ぶち抜いてくれる訳です。
もうノックアウトです、佐伯先生。
ヴォクゥヲスキニシテクダサイ。
なぜ、僕たちは…
「好きなことを人生の1番のウェイトに置かないんでしょうか?」
「なぜ、最も頑張れるはずの「好き」なことをやらないんでしょうか?」
そんな疑問が僕の中に沸々と湧いてくる。
僕たちは、皆クリエイターなのかもしれない。
これを「アーティストの話だから」で終わらせないで欲しい。
「Your Life as Art 自分の人生を創り出すレッスン」という本がある。
はじめて読んだのは、2年前だ。
当時読んだ時、なんかすごく当たり前のことしか書いていなく、何も発見がなかった記憶がある。記憶だけを頼りに、すごく雑に要約すれば、「自分の中にある欲求?にただ耳を澄ませ、そこからビジョンを描け。するとそこに現状との差分(=テンション)が埋まれる。その差分を自覚すれば、人は勝手に動き出す」というような内容だったと思う。
は?あるべき姿描いて、現状を知って、そのギャップを埋める?ん????なんかよくある問題解決のフレームワークじゃないの???
でも、昨年末以降、やっとその意味がわかってきた気がする。
当時の僕は、「自分の中にある欲求」が自分の中にあることを、僕は自分に許可していなかった。ブルーピリオドに寄せて言えば、「好き」という気持ちを、素直に受け入れられていなかった。
だから、無自覚にも、借り物の価値観や社会のあるべき論から、ビジョンを描いていた。尊敬するあの人がこういっていたとか、記事にこんなことが書いてあったとか。当時の僕は、そんなクソみたいなビジョンを描いていた。そんなので、僕自身が突き動かされて、躍動するはずがない。
下記の記事で触れたが、僕は昨年末、自分の中にあったずっと否定し続けた自分の一面を受け入れる経験をした。すると、そこからどんどんへんてこりんだけど、僕自身を突き動かしてくれるビジョンが立ち現れ、ビジョンが現れると、やりたいことが溢れ出して、もう止まれなくなる。後戻りできなくなる。「進む」一択…みたいな。
それはまるで白いキャンバスに、自分が大好きな絵を書き出していく感覚。
私達一人一人の中に眠る「好き」という感覚を受け入れた時、私達一人一人に、実に個性豊かで、オリジナルで、あるがままの生き方、あるがままの人生が、突然立ち現れるかもしれない。
それをただ表現していく。自分をありのまま表現していく。
それは、「ありのままの自分」を表現する、クリエイターやアーティストのような気がする。
クリエイターの創作活動を後押ししたい
私は、自分の感覚に繋がって、創作活動に熱中している人の顔が大好きだ。
自分らしい表現をしようとしている人が大好きだ。そんな人を見ていると、微笑ましく思えたり、なんかウズウズしてくる。自分の創作意欲が刺激されうr。
だから、今年はそんな「創作活動にエネルギーを注ぐ(or 注ぎたい)、クリエイター」を支援していきたい。創作する対象はなんでもいいのだ。ただ、クリエイト、即ち創作することにエネルギーを注ぎたい人の力になりたい。
そんな創作活動に没頭するためのヒントとして、以下のような記事も書いてみた。
加えて、そんな「自分の好き」を発見して、「自分の好き」から自分らしい仕事を探求して、自分らしい仕事を創造するワークショップをやります!(宣伝!笑)
「ワークショップは、無理!」という方は、「童心覚醒セッション」という名称で、個別でも受けております!(こちらは、現在プロトタイピング中なので、無料で承ります)
https://why-so-serious.mystrikingly.com/
人の好きを、笑うな。
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