少年トムの怪奇事件簿1『ウェールズの古城にて(2)』
【2、岬の老紳士】
重症の厨ニ病患者であるトムは、逸る気持ちを抑え、早足で砂浜を歩き出す。
ウェールズの砂浜の砂は、日本の砂浜の砂とは質が違うのか、なんだかべったりと靴に絡みつく感覚がする。
だが、厨ニ病患者はそんなこと構ってはいられない。
「あの岬の城にたどり着くことが、俺の使命だ!運命だ!」等と、厨ニ病の代表的な症状である、俺が勇者だ!かかってこい!妄想を膨らませながら、足早に岬に向かう。
砂浜を横切り、夏草の茂る古い石畳の道を、トムは岬の古城に向かって歩く。
海鳴りの音も潮の香りもあまり日本と変わらないが、その目に映る光景は、まるで映画の世界にでも来たように美しく神秘的だった。
断崖に打ち寄せる高い波。
その岬の先端に佇む、城壁の崩れた無骨な城。
薄っすらとした靄を纏う、その名も知らぬ城は、まさにファンタジーの世界の遺物そのものだ。
今にも馬蹄が聞こえてきそうな、なんとも幻想的な風景に、トムの心は無駄に踊る。
城に続く石畳は緩やかな登り坂となり、ざわめく緑の夏草を横目に見たトムが、ちょうど坂の真ん中あたりまで来た時だった。
ふと視線を城門に向けると、その先に、地元の住民かと思われる、一人の老紳士の姿があった。
地元の人が散歩にでも来てるのかな?
そんなことを思ったトムは、少しだけ歩調を緩める。
そんなトムと老紳士の目があった。
老紳士はなんだか嬉しそうな表情をしながら、石畳の坂をゆっくりとした歩調で降りてくる。
ワインレッドのニットベストと白いYシャツを着た、鷲鼻で白髪の老紳士。
「こんにちわ」
目が合ったということで、トムは老紳士に挨拶した。
トムの目の前で立ち止まった老紳士は、にこやかな表情をしながら、少し灰色がかった瞳でトムを見る。
「やぁ、こんな場所で珍しいね、中国人かい?」
少し訛りがある英語で老紳士はトムにそう聞いた。
英国に住む人間にとって、東洋人といえば中国人かインド人。
歴史的背景もあり、顔の彫りが浅いイーストアジアの黒髪の人種は、中国人だと思われがちだった。
それも半年以上英国で暮らしてトムが感じたこと。
トムは軽く首を横に振って応える。
「いえ、僕は日本人ですよ」
「日本人かい、そりゃまた珍しい!」
老紳士は少しばかり大げさに驚いてみせる。
その時、ざわっと、石畳の脇に生い茂る背の高い草が揺らめいた気がした。
老紳士は、何やらふふっと含み笑いをしてトムに聞くのだった。
「君…名前はなんて言うんだい?」
名前を聞かれたトムは、特に訝しむでもなく、素直に名前を教えることにした。
英国留学中のトムには、現地の人に名前を聞かれると、決まって応える台詞がある。
例に漏れず、枕詞のようにしてトムは老紳士に言う。
「日本人の名前は難しいので、イギリスで知り合った人たちはみんな僕をトムって呼びますよ」
その答えを聞いて、老紳士は、何故かおかしそうに笑った。
「東洋人にトムか!
なるほど…じゃあ、トム、君はあの城に行くのかい?」
老紳士はそう言って、坂の上で佇む朽ちかけた古城に視線を向ける。
「はい、そのつもりです!日本の城と違って珍しいので!」
意気揚々とトムはそう答えた。
老紳士はそんなトムをゆっくり振り返って、何やら意味ありげな視線で言葉を続ける。
「あの城に行くなら気をつけた方がいい」
「え?何でですか?」
「あの城にはな、悪い妖精が出るんだよ」
「妖精…??」
怪訝そうに小首を傾げたトムは、老紳士にそう聞き返す。
老紳士は出会った時と同じようににこやかな表情で答えた。
「そうだよ、あそにはバンシーが出るんだ、バンシーに出会ってしまったら、命は無いから、気をつけるんだよ」
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