『恐怖』という価値観
今更だけど、人間には個性がありその価値観は十人十色。
もちろん、感性も十人十色。
人の数だけ価値観があり感性がある。
したがって、『恐怖』の価値観も人それぞれだ。
ゾンビやスプラッター等、、どちらかと言ったら、色覚を派手に刺激するハリウッド系の恐怖が好きな人もいれば、伽椰子や貞子に代表されるような、呪いを元に構成され、背後からじわじわくるような恐怖が好きな人間もいる。
恐怖という感覚も個人で違うので、一概に、あっちがいいとかこっちがいいとか言えないのも、またしかり。
ただし、やはり傾向というものがあって、何事にも トレンドみたいなのがあるわけだ。
多分、恐怖にも トレンドというものがあるんじゃないかと、最近思ったりもする。
人間は常に刺激を求めるもので、恐怖に関しても、きっと人間は、どんどんどんどん、より刺激の強いものを求めていくんだろう。
物は試しに、とあるショーレースに出てみよっかな?と思って、色々用意はしてみたんだが…
あそこは完全に、プロないしセミプロのスキルがあり、なおかつ、多少の知名度があり、確実に客を連れて来れる人間だけが決勝に残ったという印象。
今は空前の怪談ブームで、ここ2〜3年で、かなりの数の若手怪談師も出てきた気がする。
こうなってくると、怪談もまたビジネス。
恐怖だって、エンターテイメントとして金を稼ぐための道具だから、まあよくよく考えれば、客を呼べない無名の素人よりも、そこそこ知名度があって、客を呼べるセミプロないしプロの怪談師をショー レースに残した方が、より収益にはなるよな。
まあまあ、音楽の業界だってそんな感じだったから、結局どこに行ってもそんなもんなんだろうなと…決勝に残っていたメンツを見てすっかり興醒めしてしまった。
だけど世の中だってそんなもん。
トレンドみたいなのに乗って、少数派よりも多数派の支持を集め、確実に収益が上がる人間であったり作品であったりじゃないと、儲けには繋がらない わけだ。
俺は昔から感性が独特で、とてもじゃないが、万人受けするような作品も書けなかったし、音楽やっていたってとても 万人受けするような歌を唄えるようなタイプではない。
そんな俺が書く作品だって、そりゃ、万人受けしないよな。
それがファンタジーであっても SF であってもホラー小説であっても、少数派な独特の感性よりも、 たくさんの人間が好むようなモノを作るクリエイターが勝つということ。
それが恐怖を扱った怪談であっても同じことだ。
俺は、実話怪談が好きで、貞子とか伽椰子とか、あの手の怖い幽霊を求めているわけじゃなく、それこそれこそ日常生活にじわじわと染みいるような、分かりやすく言えば『残穢 』という映画のような、よくよく考えてみるとこれってめちゃくちゃ怖くないか?的な、腹の底から じわじわと来る恐怖の方が好きだったりする。
だから、あまりにも派手な話になってくると、途中で興味をなくしてしまうと言う、悪い癖があるわけだ。
怪談系の色んなショーレースも、怪談師が欲しい話も、きっと、地味な実話怪談ではなく、より多くの人目を引くような、派手に怖い創作怪談なのかもしれないな…
少数派の恐怖より、多数派の恐怖。
それもまた、恐怖という名の価値観だから仕方ないことなんだろうな。
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