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『MINAMATA―ミナマタ―』

原題「MINAMATA」

◆あらすじ◆
1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する世界的写真家ユージン・スミスの前に日本語の通訳として現れた女性アイリーン。彼女は日本の水俣市で、工場から海に捨てられている有害物質が多くの人々を苦しめている現実を、あなたの写真で世界に伝えてほしいと訴える。水俣の惨状に心を痛め、現地での取材を開始するユージンだったが…。


私がユージーン・スミスの写真に出逢ったのは丁度『世界を見てみたい』と思い始めた80年代初頭、ティーンエイジャーもラストの頃。今でも部屋に飾ってあるこの写真に鼓動を感じて自分もドキドキしたのを覚えている…。

ユージーンは著名な写真家の中でも取り分け日本に縁があり、その中で【水俣】は最後の写真エッセイである。
その背景の映画化はとても興味深いと思った。

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今も尚続くこの"人的環境汚染による災害"をこんな風にリアリティを持って描けるのか!とまるで自分がその時代の現地に訪れた様な感覚にさえなった。

撮影されたのはバルカン半島(セルビア、モンテネグロ)と言う事だがあまりにも日本が変わり過ぎていて日本での撮影は諦めたそうだ。その点で言えば登場する現地の子供達の中に日本人では無いだろう子が混ざっていた。うるさい事を言う人にとっては「それは無いだろう」だが個人的には大した問題ではなかった。
何故なら真田広之、加瀬亮、國村隼など厳選された日本人俳優の好演で当時の日本が再現されてるからだ。

真田広之、國村隼は海外作品でお目にかかる事はしばしばあるが加瀬亮の今作での存在感には驚かされた。
初め「加瀬君?」ってだいぶ久しぶりの友人に会った時みたいになんだか急に大人びた感じがして「あぁ中堅の俳優として成長したなぁ」と灌漑深く思うばかりだ。子供の頃アメリカで暮らしてたのがやっぱり活きてるね。

アイリーン役の美波の好演も目立った。ユージーンが如何にアイリーンとの関係を大事にしていたかが伝わる。
彼女はユージーンが亡くなった後もこの活動に従事するがそんな彼女の誠実さや意思の強さに共感が湧く。

初めは乗り気で無かったユージーンを動かしたのは現地の惨状・・・。
ユージーンにとって彼の作品を見れば日本と言う国はそう遠くない場所でもあったはず。しかし沖縄戦があまり良い体験では無かった事から一度は日本行きを断るがアイリーンに渡された写真を見て気持ちを変える。
当時苦境に立たされ報道誌としての地位を引き摺り降ろされた『LIFE』に話を持ち掛けお互い最後のあがきと言わんばかりにこの取材に賭ける。
そして締め切りギリギリに送られたユージーンの生々しい写真に驚きと怒りを隠せない『LIFE』の編集長ロバートの姿も印象的だ。

そして『LIFE』はこの写真群を掲載し水俣病を世界に知らしめることとなる。

これはワタシの座右の銘でもあるが・・・つまり【怒りは原動力】なのだ。

そして、今や『MINAMATA』は世界に通ずる言葉なのだ。

加害者であるチッソ側と住民の抗争の迫力もモノクロの映像の効果か非常に重みがある。

チッソ側の余りの横暴ぶりに驚かされる事も多々あるがそれにも怯まず闘い続ける真田広之演じるヤマザキ・ミツオが劇中で「子どもどころか孫世代が闘うために」と言っていた台詞がまさしくエンドクレジットで流れる世界各国の環境汚染の映像に繋がる。

そしてチッソ社長を見事に演じた國村隼は本当に凄かった。
淡々と何にも動じず会社の長として「結論は、金は出せないと言う事です」‼︎‼︎
とことん冷酷に徹してる。
ユージーンに対する行為も悪魔に魂を売った男の体でキッパリ態度が一貫している。
この描写が【権力者と弱者】と言う様々な事例に匹敵するものとして捉えられるところに今作が作られた意味を感じる。

ラスト、水俣の人達がユージーンに心を開き写された写真が次々に映し出されて行く。
その写真の一枚一枚に心を動かされて思わず涙してしまった。
ユージーンの眼差しは当事者達の生活や営みそのものを写し出している、故に美しさを感じ感動してしまうのだろう。

映画全体はリアルで見応えはあるがアート的要素を多分に含む映像で息苦しさは感じずに観られる。
もしや?と思ってもう一度調べてみるとやはり少しだけ時系列や史実と違う部分が存在した。しかし一人のカメラマンが人生の最後に成し遂げた作品を描く映画として敢えてレヴィタス監督が自由な発想で創ったのだろう。


主演でもあるジョニー・デップがかなりの熱意でプロデューサーも務めたらしい。
彼の姿がユージーンに生き写しなのも驚きだ。
その熱意もジョニーの演者としての力量も非常に感じられた秀作だった。

ユージーン御本人
ジョニー


なにより観終わった時の後味が素晴らしく良い。

久々にこういう感覚を味わった気がする。



こんな言葉をみつけた

"Photography is a small voice, at best, but sometimes – just sometimes – one photograph or a group of them can lure our senses into awareness. Much depends upon the viewer; in some, photographs can summon enough emotion to be a catalyst to thought."

「写真は、せいぜい小さい声に過ぎないが、まれに、ごくまれに、一枚の写真、あるいは何枚かの写真が我々の意識を呼び覚ますことができる。…私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物を言う。」

           ユージーン・スミス


2021/10/01

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