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人間の権利を取り戻す

「どうして、私がこんな身体にならなきゃいけないの?」

穏やかな昼下がり、車椅子に乗せられ、部屋から連れ出され、彼女は今日も泣いている。私は肩をさすり、やれることだけやればよい、と励ます。そうされることで、彼女は従順に私を受け入れる。2、3年目の若手ではこうは上手くいかない。年齢を重ねると、こんな所ばかりが抜きん出て嫌になる。
理学療法士になって10年が経った。何年やったから一人前だと自分で決めるのは愚かだ、とあの人は言う。その通りだと思う。事実、私は目の前で泣いてる彼女を、彼女自身の力で歩かせることもできない。

「リハビリテーション」は日本語にすると「全人間的復権」、そのむかし魔女として火炙りにされたジャンヌダルクが、亡き後に再び審判にかけられ「魔女ではない」と、その人間としての『権利』を取り戻したことに語源がある。

いやらしい情事をした後で、あの人にそれを話したら「ああ、あなたの仕事は素晴らしいね」と優しく頭を撫でられた。ちっともわからないくせに。動かない身体を動くようにするのが、どんな風にして「人間の権利」なんて大層なものに結びつくのか、10年経ってもよくわからない。

それなのに、行為のあと、あの人は私の仕事の話を聞きたがった。私はそれが嫌で、隙を見て奥さんの話を持ち出して、彼が困るのを楽しんだ。そうして私は私の権利を取り戻していた。

訓練室に辿り着く。そこはぼんやりと暖かく、車椅子が床を軋ませる音や人々の声で騒々しい。麻痺をした手足のストレッチ、まっすぐに座る練習、立ち上がりを10回、平行棒を3往復。それが彼女の今日のメニューだ。理学療法が終わると、私は彼女を再び車椅子に乗せて訓練室を後にした。

彼女は事故にあった。頭を強く打ち、手足に重い麻痺が残った。意識もぼんやりとして、感情がコントロールできず、言葉が上手く理解できなくなった。受傷から3ヶ月が経ち、失われた身体の機能を取り戻すため、私の働く病院に入院している。

病室には彼女の夫が居た。夫を見ると、彼女は再び涙を流した。落ち着くのを待ち、抱き起こしてベッドに横たわらせる。後遺症のため、彼女はすぐに眠ってしまう。
私は夫に彼女の様子を説明する。あの人は不安な表情を浮かべながらも「ありがとう、君が担当で良かった」と、私の頭を撫でる。

彼女の夫があの人だと知ったとき、私は本当の意味で人間の権利を失った。

愚かだ、と思う。私は私が恥ずかしい。そしてそれが罪であるのなら、この羞恥心が罰となるよう願っている。そうやって、私は私自身の『権利』を求めて溺れている。

たっぷりとしたと夕日が差し込んでくる。病室には、彼女の健やかな寝息が響いていた。

読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。