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「今日できることを明日に延ばすな」「明日できることは今日やるな」どっちに真実がある?<マニャーナの法則>

※ワードプレスからの引っ越し記事です。2023年3月26日更新。一部改訂。

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

格言で「今日できることを明日に延ばすな」という有名な言葉がありますね。

アメリカの政治家、ベンジャミン・フランクリンの言葉ですが、その一方で現在は以下のような言葉もあります。

「明日できることは今日やるな」

この言葉はトルコのことわざのようですが、イギリスのビジネスコンサルタントであるマーク・フォースターのロングセラー本「明日できる仕事は今日やるな マニャーナの法則」でも書かれてあるようです。

”マニャーナ”とは、スペイン語で「明日」という意味ですが、現代の仕事術では後者の方が注目を集めているようですね。

そこで、今回はこの2つの言葉について深堀りして考えてみたいと思います。


「今日できることを明日に延ばすな」と「明日できることは今日やるな」、どっちに真実がある?

「今日は遊びに行くから、今日の分の夏休みの宿題は明日やろう!」

そうして、どんどん宿題が溜まっていって夏休み後半に泣くことになり結局終わらなかった。。そんな経験ありませんか?

今やるべき事を先延ばしにすればするほど、負債はドンドン溜まってしまい、手に負えなくなる。
そうした戒めから、「今日できることを明日に延ばすな」という言葉が生まれたのかも知れません。

つまり、やらないと負債になってしまう事柄に関しては、この言葉は重要だと理解できます。
では、マニャーナの法則である仕事術「明日できることは今日やるな」という言葉は、この事実をどう説明するのでしょうか?

この言葉の真意を考えてみると、「負債を先送りにしていい」と言い切っているわけではないことに気づきます。

この仕事術は、オープン・リストとクローズド・リストに分けて管理するもので

  • オープン・リスト=やるべきことが発生する度に追加していく全リスト

  • クローズド・リスト=全リストの中から”今日やる”と決めたリスト

上記のルールに基づいて、「何でも今やれることは今日やろう!」と根性論で向き合うものではなく、「今日やれるものと、明日以降にやるものをうまく整理しよう」というものですね。
やることの優先順位をつけて、長期的な計画性をもって実行できることを前提にした言葉であることが分かります。

夏休みの宿題を例に挙げれば、「今日は遊びに行くから、今日の宿題は明日から明々後日までに分割して終わらせよう!」といった感じでしょうか。
仮に明日も用事が入ってしまっても、2、3日後で調整して終わらせれば良いわけです。

この考え方は、勉強においても、仕事においても、人生においてもとても重要だと感じます。

いきなりパーフェクトを目指そうとすると人は挫折する

「明日できることは今日やるな」というスタンスを前提に、タスクによっては「今日できることを明日に延ばすな」という考え方をすれば良いことが分かりました。

この考え方をする上でとても気を付けなければならないことは、「完璧主義的に実行しない事」だということです。

タスク(勉強・仕事)を実行するという事には、「能力を伸ばす・生産性を上げる」という目的があります。
タスクに優先順位をつける上で、そのひとつひとつのタスクの負荷をしっかりと把握しないと、ひとつのタスクが全体の遅延を発生させるということに繋がりかねません。

完璧にこなそうと躍起になるあまり、タスクがどんどん溜まっていき、全体の計画が破綻してしまう恐れが出てしまいます。
これを回避するための考え方として大切だと感じるのは、「苦手意識(負荷)の高いタスクは、超長期での解決を目指す」というスタンスを持つ事です。

数学が絶望的に苦手なのに、他のタスクを犠牲にしてまでガムシャラにやるのは博打性が高くおススメできません。
次の試験で、数学はちょっと点数が良くなっても、他がボロボロになるリスクが高くなります。

ブラインドタッチが出来ず人差し指でタイピングするような人が、文字を多く打ち込まなければならないタスクに躍起になって、得意なお客様対応を蔑ろにすることは本末転倒です。

こうした苦手意識が高いタスクほど、超長期的に解決していくためのプランを立てる必要があります。

これは人生においても、そのまま当てはめることが出来るでしょう。

目の前の仕事も満足に出来ないのに、夢ばかり見ると道を見失う

物欲、金銭欲に囚われることには賛成はしませんが、せっかく食・物に溢れた便利な社会になったのですから、多少お金持ちになって贅沢をしてみたいという気持ちは否定しません。

しかし、「目の前の仕事も満足に出来ていないのに夢ばかり観ている」という人が少なくないように感じます。
目の前の仕事のみならず、”目の前の生活”も然りです。

現実を正しく見つめられない人が増えてしまった背景には、「勝ち組・負け組がはっきりした社会」が形成されてしまった弊害があると感じます。
”高ステータスこそが至上”と言わんばかりの、「勝ち組でなければ幸せは手に入らない」というような、完全に間違ったメッセージが社会の根底に暗に流れています。

まずは、、、

  • 「当たり前に最低限の生活ができることが、どれだけありがたい事か深く考えてみる」

  • 「嫌な仕事であっても、給料を貰えて生活ができるのだから、恵まれているという事実を深く認識してみる」

とは言っても、リアルにこうした事を、染み入るように実感するのは難しいものですね。
多くの人が、こうした実感を持てない理由は、「人は慣れてしまったことは顧みない性(サガ)がある」からです。

「手に入ったことは過去のこととして、まだ手に入っていない欲しいモノを要求する」

こういう果てしない性(サガ)に、人類は太古の昔から翻弄されてきたと言えるでしょう。
ここから脱却するために、お釈迦さまは「全てのことに執着するな。執着から解放されることが幸福への最短距離」だと説いてきたわけですね。

執着を捨てた上で、目の前のやるべき事をしっかりと出来た上で、お金持ちを目指すことは大いに良いことだと感じます。
肩の力が抜けて、成功から寄ってくるようになるかも知れません。

そうした人は、必ず私欲のためのお金稼ぎではなく、家族のため、社会のためになるお金持ちを目指すでしょう。

まぁ、お金持ちになんてならなくても、平穏につつましく生きる方がコスパに優れた幸せかなぁ、と僕は感じます笑

何か、少しでも参考になれば嬉しいです😄

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
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