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慧眼の視点/その1

これからnoteに連載する事は、僕が後世の研究者に伝えたい「遺言」です。

僕は慧眼の才能を使って戦国史と太平洋戦争の研究をしていますが、研究を通して強く感じているのが「解らない事を知ったかぶりしない事の大切さ」です。専門家を自称する人達にとって「解らない」はプライドが許さないのでしょうが、解ったフリをしていい加減に答える事が、どのジャンルの研究においても全貌解明の大きな障害となります。

また、「専門家ほどシンプルな事を見落とす」と言う事実も、教訓として後世の研究者に伝えたいです。順番にお話しましょう。

明治時代に桶狭間の戦いを研究した陸軍参謀本部。簗田政綱が信長から沓掛城を褒美に貰った史実に困惑します。敵大将の今川義元を討った訳でも無いのに城を与えられた簗田。ここで参謀本部は「解らない」とはせずに、「敵本陣の位置情報を伝えたから」と結論付けました。

この時に参謀本部が「褒美の理由は不明」としていれば、簗田政綱が清洲同盟の提唱者である事に、もっと早く研究者は気付けたと思います。そして敵本陣の位置情報と言う誤ったキーワードが、研究者達に「今川軍は常に移動していた」と思い込ませる事となり、今川軍が尾張国に遠征に来た理由が「酒盛り(花見)」であると言う真相に、誰も辿り着けない元凶となりました。

当時の状況を冷静に確認すれば、織田側の豪族達が今川側に寝返り、今川軍は次々と城を手に入れている圧倒的有利な立場です。つまり今川義元には信長と決戦をする必要性は皆無です。
「信長の眼前で悠々と酒盛りをしてやろう。どうせ奴は黙って観ているしかできない。そうすれば信長の不甲斐なさに呆れた豪族達が、もっと我々に寝返るだろう。これが「戦わずして勝つ」と言うことよ」
そんな義元の勝ち誇った顔が浮かんで来ます。(続く)


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