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「イジメ」と言う穴の探検

僕には慧眼の才能があります。世の中で起こる現象について、誰も出来ない視点で分析・思考をする事が出来ます。それは例えるなら、深い穴を単独で探検する感覚です。

今僕が探検しているのは、「イジメ・差別」と言う穴です。
「イジメは群れ社会に必要不可欠なのだろうか?」
このテーマに取り組んでいますが、この穴はとてつも無く深いです。

数多くの創作作品で「イジメ=悪」として描かれ、やってはいけない禁忌として扱われています。ところが、人類史では「イジメ・差別」はどの時代でも、どの地域でも行われています。
それは一体何故なのか?

物事には必ず表裏があります。僕自身はイジメを毛嫌いしていて、実際に学生時代に自らの意思でイジメられる側に回り、「なんて下らないんだろう」と、自分を無視するクラスメート達をジーッと観察していました。

「やってはいけない」とあれだけ諭されても、集団からイジメや差別が無くならない。もしかしたら、イジメを禁忌と封印する事で、我々は思考停止に陥っているのかも知れません。
「イジメは必要である」と言う視点に一度立ってみないと、この問題の本質に辿り着けないだろうと考えた訳です。

例えば80億人が生きていますが、心臓の動かし方を知っている人は居ません。心臓は身体が自動的に動かしています。
我々が自我で行っているのは食べ物を口から飲み込む所までで、後の事は身体が勝手にやってくれます。僕達はこの全自動を「本能」と呼んでいます。

イジメや差別が人類から消滅しない理由は、この「本能」が関係しているからでは無いのだろうか?……と考えています。そうだとすると、かなり厄介な相手です。

世の中には犯罪者が一定数存在します。だから人々は刑務所を作り隔離する事で、集団生活の安定化を実現しています。それと同じ事を、我々が自分の心の中でやるべきなのです。

現在は「イジメ・差別」の深い穴を探検している真っ最中。果たして穴から戻った時にどの様な結論を導き出すのか?…….探検が終わったら発表しますね。





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