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確率じゃはかれない

私はまあまあ健康なつもりで生きてきたんですよ。相当にでたらめな、不摂生きわまりない生活を送ってきたものの、大きな病気もせずに半世紀以上も過ごしてきていたもので。二十歳の誕生日をまたいで死にそこなう感じで入院しましたが、それは事故でね、病気ではなかった。
なんだけれども、長年のくそたるんだ生活のつけが回ってきたのか、ここ数年は病気が押し寄せてきますね。いやはや。

その中のひとつに良性腫瘍ってのがありました。そこそこの大きさ、140グラムほどの塊がお尻にできたんです。できたっていうか、じわじわ何年もかかって育ったっていう印象だな。術後に見せてもらったら、玉子を何倍かにしたような雰囲気のつるんとした代物でしたよ。肛門と直腸に接するような状態だったのでちょっと手強い手術になった。朝一でやってもらったんですが、昼すぎにはベッド周辺が血溜まりになってしまい、午後に緊急手術が追加になったりしてどたばたしましたが……と言っても、どたばたしたのはお医者さんたちでね、私は、まあ、世に言う俎板の上の鯉ってなもんで、いてぇいてぇと騒ぐ以外に何ができるわけでもなく。
とにもかくにも何とかなって、一週間ほどの入院で済みました。縫い目が落ち着くまでは血が滲んだりするのでしばらくは紙パンツ生活だったし、一ヶ月ぐらいは痛みが続いたりはしましたけれども。

良性腫瘍というものは取りきれちゃえば再発する可能性は低く、命がどうってことではないわけなんだけれども、それもできる場所次第ではあります。
うちの父親の場合、脳幹に接するところにできていて、最初に発見されたときにはすでにこぶし大ってことでした。グーのサイズも人それぞれじゃんってなもんですがね。車の運転をするのに距離感がおかしくなってきたってんで眼科に出向いたところ、これは目じゃないな、でかい病院へ行けとの指示。広尾の日赤で検査の結果、けっこうやばいじゃんってことであれよあれよと事態は進んでいったのでした。
一度目の手術で大半は取れたんだけれども、如何んせん脳幹に接しているので危険すぎて全部は取りきれなかったんです。しかも、手術で刺激したせいなのか、取り残した腫瘍がどんどん大きくなり、一年後にはこのままだと命に関わるってなサイズになってきてしまったんですね。
脳幹なんて普段は意識することのないパーツですが、生命維持のための中心機能を司る部分です。そこが腫瘍で圧迫されてしまう。そのまま放っておけばそう遠くなく死ぬことになるよって見立てで、最短で三ヶ月、最長でも一年かもうちょいぐらい、みたいな話。
Wikipediaって誰が書いているのかようわからんわけですが、うちの父んとこには「日本の言語哲学者。専門はフランス思想および言語哲学」なんて書かれています。レトリックを中心に思想を展開していて、最終的には「レトリック辞典」というものをまとめたいと思い描き、長い時間をかけて準備もかなり進めていたんです。そこに脳腫瘍という強敵があらわれたわけですね。
入院して各種検査が進み、ドクターから病状の説明を受ける機会がやってきました。親父が「全太、つきあってくれ」って言うわけ。普通に考えると、そこはおふくろが一緒に行くもんじゃないのかなと思いませんか。私、二十歳をちょっと超えた程度のへらへらした若者(兼ばかもの)だったわけだし。大事な話なのにあたしじゃなくて息子なのね、なんて、ちょっと寂しい気持ちになったりしないのかな、と思ったんだけれども、おふくろはおふくろで「そうよ、あんた、頼むわよ」なんて言っており。
今となっては詳細は記憶あやふやだけれども、放っておけば余命は三ヶ月から一年。手術をして完全復活する可能性が10%、障害が残りながらも問題なく文筆を続けられるような状態になる可能性が30%ぐらい。一方、手術で命を落とす可能性も10%ぐらいはある。生活の程度が著しく制限されるような状態になってしまう可能性も20%ぐらい。残りの30%ぐらいはその間のどこかに落ち着く、というような説明でした。
ちなみに、彼はこのとき52歳だったのかな。素晴らしい作品をどんどん世に送り出し続けているところだったんですよ。
そのミーティングのあと、手術を受けずに残された時間で「レトリック辞典」を完成させることに専念するという選択肢もあると思うと父は言うわけです。死ぬのは全くこわくない。それよりも「レトリック辞典」を完成させられなかったらその方が辛い、悔いが残るってね。
おまえはどう思うんだと尋ねられて、私は生と死という観点なら9:1で命が続くということだし、程度はいろいろだろうけれども自分の研究を続けられるということでいえば7;3なわけだから、おれだったら手術を受けるよとこたえました。
そのとき、彼は言ったんですね「確率でいえば、おまえの言うとおりだ。ただね、その人の身の上に起こることはどんなことでも100%なんだよ。10%死んでいて90%生きている命なんてものはなくて、当事者にとっては起こったことは死であろうとも生であろうとも100%なんだよ」と。
これはね、全くその通りで、私もロジックとしては理解していました。それはわかる。わかるけれど、俺だったら10%の完全復活にかけるなってことだったわけだけれども。

そして、考えぬいた結果、父は手術を受けることにしました。

長くなっちゃったから、続きはまた別の機会にでも書くかも……書かないかも……かな。

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