SNS、と、わたしたち


スマホが登場したのは私たちが中学生になるころだった。

中学合格祝いに買ってもらったスマートフォン。

同級生の中でもいち早くアンドロイドを手に入れた私は、当時はまっていた、AKB48についてGoogleを使って漁りまくった。そしてにちゃんねるに書かれたともちんの整形疑惑や彼氏の情報、悪口を見て、「それでも彼女を応援するんだ」という自尊心を密かに育んでゆく。

そんな中、温かいSNS、アメーバブログを知る。彼女たちの情報や温かい応援のみが長めの文章と今まで赤外線通信でやっと手に入れていたような絵文字のオンパレード。今は無きアメーバピグも含め、中学生の乙女心をくすぐったアメブロは私の中でブームとなった。


しかし、あのSNS、なんとなく長文を書かなくてはいけないのではないか?

かわいい感じのテイストでわかりやすく(悪く言えばばかっぽく)しなくてはならないのではないか?

という時間の浪費を感じるようになっていった。そしていつしか私はアメブロを辞めていた。

辞める時というのは結構あっさりで、意外と後から思い出してもその時の主たる要因というのは思い出せないものだ。


そして、違う仲の良い友人に「Twitterやってみなよ。面白いよ。」と言われ、

小学校の時から受験で見ていなかったTVの話題に対するコンプレックスが起因しているであろう「話題についていきたい」という執着心が騒いだ。

そしてTwitterを気軽な気持ちで登録した。

すると、みるみるTwitterが私の生活を占拠していった。

「あこれTwitterにこうやって書けばRTされるな」

といった、他者的な視点もTwitterに教えてもらったのである。

今思えば、嵐のファンアカウントから始めたのは正解だった。なぜなら平和な閉鎖的空間だったからである。

悪く言えば盲目的に彼らを応援することに夢中で、ファッションも恋愛も勉強も疎かにはしてしまったが、文章力は身についたし、ヲタ活の神髄を知ることが出来たのは良かったと思う。

その後高校生になると次々と同級生がTwitterを登録し、行事やテスト前後のタイムラインの盛況ぶりは見ているだけでも謎のワクワク感に包まれていた。

そんな私たちも大学生になった。

あの頃のタイムラインはもう二度と戻らない。

インスタグラムを見ないとその子たちが今どうしているか把握できなくなり、彼女たちの文章や面白味は排除されつつもある。

少し寂しいけれど、彼女たちはその分現実で語り、そして行動しているのだ。応援していこう。また、あの時の私のように。自尊心を満たしながら、そう私はTwitterに呟く。


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