Self-...
人はここのところ
self-restriction, control, quarantine によってself-managementまでも求められている。
画面に向き合って画面に映る箇所のみに神経を集中させ、画面上に複数の人間が映し出される時間が終わっても伸びをするとそこには当時あんなに憧れていた家という空間が広がっている。
そんなこんなで外と内の切り替えが上手くいかず、身体と神経の疲労度の差に違和感を覚えつつぼーっとスマホのブルーライトを浴びにいく。
そんな日々。
効率的でより多くの人に有意義な話題を話さなくてはならないように感じるオンラインでは”なんてことない”話題が話しにくい。そういや「今日も雨だね」ということさえオンラインでは交わさない。やはり人はオンラインになると構えて自然と体を積極的に離してしまうのだろうか?
ともかくオンライン上で生まれた自分の鬱憤や反省点はやり場のないまま、発散することも共有することもできずに自分の心にのしかかる。でも身体は疲れていないから眠れない。不定期な睡眠によって精神的健康はさらに荒む。
そこで私は日記をつけることにした。
するとあら不思議、私の心に溜まるでんぷんが溶かされていくというかどうでもよくなって前向きになれたのである。文字に起こすことができる幸せを噛み締めた。
しかし、
私の奇跡はここでは終わらない。
日記をつけることを決めた翌日に私のいわゆる親友からこんな言葉が送られてきた。
とてつもなく嬉しかった。なんてロマンチックなんだろう。映画みたいだ。
さっそく日記に「こんな言葉を言われた嬉しすぎてどうしよう」といった旨を書き込んだ。
正直最高な映画を観た後かってくらい感動してしまってしばらく眠れなかった。
こんな言葉を照れつつも言ってくれる友人に出会えたことに心から感謝した。
自粛期間で友人に会いにくくなって、友人からのLINEの返信がより楽しみになった。
メッセージを通して生きがいというか生きてる感じがするのである。
夜メッセージを見てしまうと自分だけ盛り上がって眠れなくなるからわざと既読せず、朝メッセージを開けるのを楽しみにアラームをかける日もあるほどだ。
たくさんの愛が深まることで
それがグループ化・分断を生むのではなく、
どんな相手をも一度受け入れる愛に繋がればいいなと
今日も雨の中思うのであった。
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