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第93回MMS(2014/11/28対談) 「「好き」を仕事にする自分ブランドのつくりかた」 台東デザイナーズビレッジ  鈴木淳 村長

本記事は2014年に対談したものです。情報はその当時のものですので、ご了承ください。

MMS本編

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enmono 第93回MMSは台東デザイナーズビレッジ、通称「デザビレ」からお送りします。ゲストはデザビレの村長、鈴木さんです。

鈴木 よろしくお願いします。

enmono デザビレはどのような施設なのでしょうか。

鈴木 デザビレは東京都台東区にある、ファッション・デザイン関連の創業支援施設です。平成16年にモノづくり系クリエイターの支援を始めたのですが、当時、ファッションや雑貨のクリエイターに特化した支援施設はなく、ここが日本初でした。支援をしているクリエイターは、どちらかというと手で商品を作るところからビジネスを育てようとしている手づくり作家です。3年後の卒業までに独り立ちできるよう、ビジネスの立ち上げで一番厳しい部分を応援していこうというのが、ここの役割ですね。

enmono ファッション系なのは土地柄ですか?

鈴木 この地域の産地が、帽子やアクセサリー、鞄製品といった洋服以外の身につけるものなんです。メーカーさん、問屋さん、材料屋さん、職人さんが集まっている下請けのモノづくり地域ですから、有名ブランドが海外で製造するようになって、台東区は廃業率が一番高い区になってしまった。そこで、台東区役所が創業者を増やそうとしたのです。「生き残るためには付加価値が高いもの、デザイン性が高いものを作らなければならないのに、台東区はデザイナーが少ない」という話になり、地元の産業を助けられるようなデザイナーを集めることになりました。それと、廃校を活用するためです。

enmono この建物は小学校だったそうですね。

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鈴木 昭和3年に建った、関東大震災の復興小学校でした。人口が戦前の1/3と、ここは都心の過疎地域なんですね。廃校の教室を創業者向けアトリエにして、台東区が入居者を募集しました。18室に45組が応募し入居者が決まって、あとは村長の私に運営を任せるという感じでスタートしました。

enmono トントン拍子にスタートして。

鈴木 いいえ、非常に苦労しました。最初、入居者の審査は1人10分の審査会のみだったんですよ。最初の審査ではしゃべりが上手い人と、いい学校を出た人が選ばれました。でも入居した人達は、家賃が安いから応募した人が多かったんですね。倉庫代わりに使っている人とか、又貸しする人もいました。毎年、地元の人に施設を公開する日があって、そのイベント当日に「私は関係ない」と部屋が閉まっていたり、いろんな問題が起こって危機感を持ちました。
今は書類審査、面接、最終審査と3段階の審査があり、面接は1時間かけています。

enmono 面接時間が1時間って、けっこうありますね。

鈴木 そうしないと、想いを上手く話せない人は落ちてしまいます。クリエイターって、しゃべれないんですね。やる気のある人に利用してもらいたいという思いで、ゆっくり話を聞いて、審査させていただいています。成長意欲のあるクリエイターに応募してもらうための仕掛けも考えました。2回目の入居者募集前に、毎月のようにセミナーを開催したのです。

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enmono どういうセミナーをされていたんですか?

鈴木 デザイナーの創業体験談とか、雑誌の編集長にどのようなブランドが目立つか話を聞いたりしました。「セミナーに来るクリエイターはやる気があるだろう」と、その人達を入居予備軍に育てました。

enmono そうすると、台東区以外の人も増えてきそうですね。

鈴木 2回目の募集の時、15部屋に90組の応募がありまして、全国から優秀なトップクラスの若手クリエイターが集まってくれました。また、卒業生がデザビレの周辺にお店を出し始めると、雑誌の地域特集でクリエイターの町として紹介されるようになって、この地域を盛り上げようという動きが本格的になったような感じでした。

enmono デザビレの目的が成果として出てきたと。

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鈴木 ありがたいことに、地元が盛り上がってきました。先ほどデザビレが施設公開をしている話をしましたが、最初は文化祭のようなイベントだったんです。イベントをきっかけに、クリエイターと地元の方との交流が生まれていきました。スカイツリー開業前、卒業生の店や近くの商店街を巻き込んでイベントの規模を拡大し、「モノマチ」という地域イベントに発展しました。

商店街から人があふれて、「30年ぶりのにぎわいだった」と地元の方々に喜んでもらえたのは嬉しかったです。地元の方々も街のため、モノづくりのために何かしたいと思っていたのですが、活躍できる場がなかったのです。今では地元の方が中心となって、街おこしイベントとして盛り上げてくださいます。

enmono それまでの鈴木さんのご苦労があったから、というのもありますよね。

鈴木 覚悟を決めざるを得ないというか、逃げ道がないというか。最初に立ち上げた人達は、同じ苦労をされているわけですよね。皆、自分がやっている仕事を日本一、世界一にしたいという気持ちで。それが創業者魂じゃないですかね。私は、手づくり作家のような小さい規模のビジネスをしている人達が、モノづくりだけで食べていけるような手助けをしていきたいと考えています。

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enmono デザビレに入居される方はどのような方ですか?

鈴木 現在は24歳から45歳の方が入居していて、8割が女性です。ファッション関係なので女性の応募者が多いですね。学生の時から商売を始めていた人が入る時もあります。

enmono 鈴木さんはメンタリングしているような感じなんでしょうね。コーチする感じでもないし、カウンセリングというだけでもないし。

鈴木 そうですね。人により、それぞれです。デザビレの場合は半年に1度、事業報告書を出してもらって面接をしているんですけれども、最近は人生相談が増えているかも知れないですね。3年間で事業規模を拡大して、それだけで食べていけるように一本立ちしていくわけですが、皆、工場との付き合い方が課題になります。クリエイターの仕事はロットが少ない、続くかどうかわからない、仕様書は変だし、いろいろあるので工場側は受けたくないのです。

enmono そこの仲立ちもされているのですか?

鈴木 織物工場や宝石工場など、よく工場見学に行きます。現場を見たり職人さんの仕事を体験すると、すごさが分かって尊敬の念がわいてくる。そこまで理解して「一緒にやりましょう」と言うクリエイターなら工場も歩み寄ってくれますから、工場との関係性づくりが大切だと思っています。

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これは、工場見学でクリエイターと工場が仲良くなったところから生まれたネクタイです。クール・ビズの影響でネクタイ織物業界が今、空前の危機になっているんですね。それを知ったクリエイター達が工場に行った後に女性向けのネクタイを開発して、これがヒット商品になりました。1万数千円するものが何百本も売れるんですよ。

enmono それは工場も嬉しいですね。作家さんのクリエイティビティが刺激されるというのもあるし、工場側は気づかないんですよね。

鈴木 こちらは、職人さんが宝石を研磨する現場を見たクリエイターが考えたアクセサリーです。宝石って仕上げ磨きをしないと、つや消しみたいな状況なんですね。これがカワイイと、磨き途中のものを商品にしてしまった。こういうのはたぶん、職人さんだと気づかないのだと思いますね。

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enmono これに価値があるとは思わないじゃないですか。

鈴木 まだ出来上がっていないと思っていますよね。

enmono 工場の方もそういった価値を知ることによって、とても刺激になりますね。

鈴木 創業もそうですが、ビジョンを示して仲間と「一緒にやろう」となった時、パワーが出ます。私は常々、「ブラントづくりとは、商品を売るんじゃない。ファンを増やすことだ」と言っています。モノ以外の、支えてくれる土地だったり、自分自身も全部ひっくるめてブランドだと。日本のモノづくりって、ずっとモノだけで勝負しようとしていたと思うんですけれども、「この人が作っているから好きなんだ」とか、「この地域で作っているから好きなんだ」、「こんな思いを持っているから好きなんだ」という、モノ以外にまつわる人だとか地域だとか歴史だとかを含めて好きな人、モノづくり好きをどれだけ増やせるかが、日本のモノづくりの未来にかかっているような気がします。

enmono ありがとうございました。

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▶対談動画

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