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人を動かすのは恐怖

学生時代のとある先生のささやかな思い出話

私の学生時代。

当時専門科目の漢文の講師をしていた先生が強く印象に残っていて、いまだに忘れられないでいる。
その先生の話をしたい。残念ながらお名前は失念してしまった。

先生は非常に褒め上手であった。
答案用紙の私の文章に朱で筆渾鮮やかに「卓見」と書き入れてくださって、私はそれを誰にも見せることなくゴミ箱へ投げ捨ててしまったんだけれども、胸の中には大切にしまい込まれて思い出のひとつとなっている。

さて本題。
別に私に限ったことではないだろうが、学生時代の私はとかく宿題やらレポートやらを強制されるのが苦痛で、それらの提出を怠りがちだった。
ダメ人間の私にとっては先生の漢文のレポートも例外ではなく、どうにもやる気が湧かぬまま提出日を迎えてしまい、仕方なく先生へ、
「レポートをやり忘れたので来週でいいですか」
と申し出た。
だいぶん昔のことでこの通りのせりふだったかは記憶にない。
さすがにやる気が出ませんでしたとは言わなかった、はずだ。
若者らしい投げ遣りさで、受け付けられなかったらそれはそれでもう課題をやる必要がなくなって脳内の厄介ごとが消滅するからもうけものだ程度に考えていたのだろう。

提出期限を過ぎたレポートは事由を問わず一切受け付けない。
最も一般的な教師の対応はそういうものだろう。
学生などダメ人間の集まりなのだから、厳しくいかなくては付けあがるのが目に見えている。
今週出せない人間は来週も出せないものだ。

だが先生はそこらの非常勤講師とは一味違った。
「君のような人がいると思ってスケジュールには余裕があるんですよ。来週提出してください」
と、こう仰った。
あっさりと期限が延長されたことに少なからぬ驚きを感じつつ、それよりも私をある意味打ちのめしたのは先生の表情であった。
普通こういうときは内心どう思っていたにせよ、渋面を作ってみせるものだ。
それが先生の方はと言えば、まるで仏像のように柔和な笑みを浮かべているではないか。

一週間、精力を傾注してレポートを完成させ、翌週に提出したのは言うまでもない。

人を動かすのは恐怖ではない。
信頼こそが人を動かし、永く人の心に残ってその人を形成していくのだ。

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