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下蒲刈島「三之瀬地区」

下蒲刈島は、三之瀬、下島、大地蔵の3集落があり、古くは伊予水軍の多賀谷氏が進出し、天神鼻に丸谷城を築いたことで知られ、のちの広島藩が海駅として三之瀬を整備して海本陣・茶屋などを置いた。港には石造りの雁木が残り、瀬戸内の港町らしさが残る三之瀬。参勤交代の西国大名をはじめ、琉球、朝鮮、オランダの使節も江戸等への往路復路とも蒲刈島に立ち寄っていたという。

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■松濤園
三之瀬瀬戸の急潮を借景に、松を主樹としたみどり豊かな落ち着きと潤いのある庭園で、下蒲刈島の歴史と文化を紹介しています。 2017年10月31日には、朝鮮通信使に関する記録がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。

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■朝鮮通信使船の模型
江戸時代に朝鮮半島から海を渡り、日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」の船の模型。

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三汁一五菜
朝鮮通信使は下蒲刈島に、1607年~1811)の200年間に12回立ち寄っており、その際に「七五三の膳」(本膳に七菜、二の膳に五菜、三の膳に三菜を出す盛宴)と「三汁十五菜」(汁物を3品、三菜は料理を15品という豪華料理)という饗応料理を出したのです。

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■朝鮮通信使
江戸時代に、李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団である。正式名称を朝鮮聘礼使と言う。その名の通り江戸幕府はこれを事実上の朝貢使節として扱っていた。

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■朝鮮人来朝覚備前御馳走船行烈図
2017年にユネスコ〈記憶遺産〉に認定された世界レベルで評価された作品で、1748年に朝鮮通信使が航海した時のたくさんの船や街の様子、当時の生活など細かく描かれています。

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松濤園茶室

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松濤園座敷

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■陶磁器館

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蒲刈島御番所
蒲刈は古くから内海航路の要衝で,福島正則は三の瀬に海駅を設け,長雁木を築いた。江戸時代,浅野藩はここを公の繋船場として,番所や本陣の御茶屋を常備したので,参勤交代をする西国大名の船をはじめ各国の使節もここに立ち寄った。

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■三之瀬港「福島雁木」
福島正則が築いた「雁木(がんぎ)」。幕命により本陣を設ける際、船着きの便をはかってここに造りました。

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三之瀬御本陣跡
諸候の往来する街道の宿場に置かれた大名宿。近くにある三之瀬御本陣芸術文化館は,この本陣の外観を模している。

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■三之瀬の風景

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■新丸谷港

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■三之瀬案内図

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