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潜伏キリシタンの地「天草」

天草とは、天草上島と天草下島を中心に大小158の島々からなる「天草諸島」をさします。天草諸島のなかでも特に大きな天草上島と天草下島があります。宇土半島のすぐ近くに、大矢野島、野牛島、戸馳島、維和島、野釜島、その先の天草上島があり、それらは天草五橋と天草パールラインで結ばれています。

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■千厳山展望所
上天草松島町合津にある絶景展望台。こちらも国の名勝に指定されています。標高は167mです。山頂付近まで車で登ることができます。1637年天草・島原の乱勃発時、総大将である天草四郎時貞がこの山頂で出陣の祝宴を張り、杓子で酒を酌み交わしたと伝えられ、以前は手杓子山と呼ばれていたそうです。

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千厳山の石を巻き込んだ不思議な樹木。

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天草四郎メモリアルホール
1637年10月の幕府のキリシタン禁止令により多くの殉教者がでた。ここ天草や島原でも農民がキリシタン弾圧と過酷な年貢のとりたてに蜂起し戦いをおこしました。これが「天草・島原の戦い」です。 大矢野島で生まれた天草四郎は、「天草・島原の戦い」で農民側の盟主として幕府軍と戦いました。このとき四郎はわずか16歳の美少年でした。天草四郎の真の姿と天草のキリシタンの歴史や「天草・島原の戦い」の関連資料を展示しジオラマや立体映像で紹介しています。

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■南蛮寺の正覚寺
キリシタン布教の中心であった南蛮寺。キリシタン教会の跡地にこの正覚寺が建立された。南蛮寺は1589年上津浦城主ホクロン殿が建立。最盛期には3,500人を超す人が上津浦城主の庇護のもとにキリシタンへ帰依し、南蛮文化の華が咲き乱れた。しかし、南蛮寺は弾圧のため破壊され、島原・天草一揆後、仏教布教のために正覚寺を建立することとなった。杉並立に包まれた境内には、キリシタンの信者が植え付けたともいわれる樹齢400年の南蛮樹(ナギの木)が往時を伝えている。

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南蛮樹(ナギの木)

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■有明海の干潟
満潮と干潮の潮位の差が6メートルもある有明海は、干満差が日本一の海。

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■三角駅
熊本と天草を結ぶ玄関口が三角駅です。南蛮風のレトロな駅です。

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