舞台ウルトラマン『DARKNESS HEELS』闇の戦士たちの再解釈

最近観たんですよ、『DARKNESS HEELS~THE LIVE~』初演版。
DVDでの視聴だったんですが、思っていた以上に良かったです。
ちゃんと観に行けば良かったなぁと思うくらいには。

DARKNESS HEELS(ダークネスヒールズ)って?

ウルトラマンベリアル
イーヴィルティガ
カミーラ
ダークザギ
ジャグラス・ジャグラー

ウルトラマンシリーズに登場する彼ら闇の戦士たちに着目した企画群。
それがDARKNESS HEELSです。

ウルトラマンフェスティバル2018でこの企画が発表され、以後グッズ販売や企画展などの活動を行っていました。
(直近ではトークイベント「DARKNESS HEELS Morning Sabbat」など。サバト感想記事は「こちら」

ウルトラマンたちと死闘を繰り広げた彼ら闇の戦士たちは、どれも魅力的なキャラクターで、多くのファンがいます。
けれどだからこそ、多くのキャラクターは容易に再登場出来ない。新たな活躍を見られる望みは薄い……などと考えていた所で突如この企画が発表されたので、当時は驚きました。闇の戦士イベント、一夜限りの特別な機会だと思っていたし……

そしてソラマチでの展示イベントなどを経て発表されたのが、ヒールズの面々を生身の人間が演じる、所謂2.5次元的な舞台『DARKNESS HEELS~THE LIVE~』

……なぜ生身!?
いつものライブステージ的なものでは……なく!?


というわけで、改めて。
今回視聴したのはその舞台ダークネスヒールズ(初演版)DVDです。
ニュージェネクライマックスの延期もあり、欠けた気持ちにするっと入ってきた。そして観た結果、ちゃんと公演に行けば良かったなぁと思ったわけです。面白くて。

まぁでも、公演に行かなかったのにも理由があってね……

生身の役者さんが演じる、ということ

光の巨人ウルトラマンと相対することとなる、闇の戦士たち。
その魅力はどこにあるのか、というと、やはり彼らの強さや内に秘めた想い、ウルトラマンと比較される内面や出自……そして何より、見た目のカッコよさにある、と思うわけです。

どこかどうカッコいいか、美しいかを書くとめちゃ長いので割愛しますが、着ぐるみであるからこそ表現可能な外見が、彼らの魅力の一因であることに間違いはない。けれど舞台では基本的に役者さんが、その着ぐるみに寄せた衣装を纏って演じていくという。

それが悪い、ということは全くないです。
ただ個人的な趣味からは少し外れるというか、特撮ヒーロー好きよりは2.5次元舞台好きを優先した形かな、という感覚でいました。
だからそこまで熱量が上がらなかったし、気にしてはいても実際に観に行くまでには至らなかったわけですが……

実際に観てみると、そこにはそうするだけの理由があり、生身であることがプラスに働く面も多々あった、と感じました。

というか基本的に今作のお話、闇の戦士たちが復活させられるも、力を制限され、人間のような姿にさせられたことから始まっていくんですよね。まず闇の巨人のままでは成立し得ないお話。元の姿ではないということを全員が認識した上で、生身の役者が表情込みで演じていくヒールズ。

初めから、私たちの知る彼らと同一ではない。
けれどその精神は、確実に私たちの知っている彼らである。

人間の姿に再構成された彼らは、そのキャラクター性についても再解釈しているような雰囲気も感じさせられて、それはおそらく着ぐるみの姿では呑み込めなかった面白さだろう、と思うのです。

個人的には着ぐるみが大暴れするステージの方が趣味ではあります。けれどだからといって遠ざけるのは勿体ない。そう感じさせてくれる力がこの作品の彼らにはありました。

どんなお話だった?(以降若干ネタバレあり)

ある時、見知らぬ惑星で闇の戦士たちが復活を遂げる。
目覚めた地は惑星テリオ。彼らを蘇らせたテリオの科学研究所所長ヒュースは、目的のため、彼らを監獄に閉じ込め尋問すると告げる。

当然反発する闇の戦士たち。
人間のような姿に変貌し、満足に力を揮えないことに戸惑いを覚えながら、5人の闇の戦士は追っ手を破り、テリオから脱出する……
カミーラ、ベリアル、イーヴィルティガが辿り着いたのは、惑星アバン
この地の住民は光の力を操る侵略者に襲われているという。

光による侵略。そしてアバンの地には未だかつて、一度もウルトラマンが現れたことがないという事実。
それによって、アバンの住民はウルトラマンの名を嫌うようになっていた。

現地の人間と交流し、彼らを助けたいと感じるようになったカミーラ。
この地の侵略すると嘯き、光を操る敵に敵愾心を抱くベリアル。
己の存在に戸惑いながら、人々を守り導きたいと考えるイーヴィル。
一方でダークザギ、ジャグラーが辿り着いたのは、惑星O-50
ウルトラマンを選び生み出すとされる戦士の頂が聳えるこの星にも、光の侵略者は手を伸ばしていた。

O-50では、政府軍がこれに対抗。
軍の上層部は、光によって選ばれたと自称しているが……?

破壊を信条としながらも、ままならない状況に苛立つダークザギ。
そんな彼を宥め、何かの目的のために誘導しようと狙うジャグラー。
二人の戦士はそこで、青年に追われる犯罪者の少女と出会い……
光と闇、正義と悪が交錯する中、各々の思惑で闇の戦士たちは再び一堂に会し、光の侵略者との決戦に挑む。

ヒールズの面々って、各々作品も違えばスタンスも大いに違うんですよ。
悪の限りを為して力を示そうとするベリアルや、破壊を第一とするザギ。
己の愛を貫く為に戦ったカミーラと、そもそも闇でも悪でもない筈だったイーヴィルティガ。挫折の中、己の正義を目指すようになっていくジャグラー……

だからそれぞれのキャラクターが戦う理由は別にあって、それがきちんと語られている。敵の力の根源も含めて、メインシリーズではやり辛い流れでヒールズの魅力を描くストーリーでした。

特にO-50の治安のヤバさが凄くて。
フーマのボイスドラマなどでも色々語られてますけど、こう……戦士の頂ってやっぱダメだな……壊した方が良いんじゃないか……?

力を制限され、人の姿になった……というのが全編に作用していて、ぶっちゃけ真の力を発揮できれば一人でも余裕で敵を壊滅できると思うんですよ。でもそうならないから、彼らは言葉を交わしあい、己の信念を見つめる時間を持てた。まぁそれでも彼らのやる事は何一つ変わらないし、悪い奴が良い奴になるわけでもない。それがちょうどいい塩梅なんですよ。もやもやする敵をアウトロー軍団がブチのめす展開の爽快感というんですか。随所にそういう面がある。

でも勿体ないなと思う面があって、やっぱり最終決戦でくらい元の姿が登場したって良かったのでは……って思ってしまうんですよ。いや、なんか力が出てきたぜ!って元の姿に戻られてもこの作品では興ざめなんですけど。こう、イメージ的な概念として並んで戦ったりしていてくれたら興奮したかもしれない。私の趣味としては。でも人数が多くなるから……舞台上に収まらないな……

それはそれとして、光線を撃つ時はお馴染みのポーズを披露してくれるんですよね。そのモーションが何を意味するのか分かるし、実際強力な技。でも素顔の戦士(誤用)がいきなりこれを発すると妙な面白みも出てくる。聞いてますがザギさん。話を聞いてくださいザギさん。でもちゃんと光線撃ってくれるの嬉しいな……

ちなみにこの物語ですが、(少なくとも初演版では)謎の全てが明かされることはありません。なぜ闇の戦士たちは復活させられたのか……惑星へリオの真の目的とは……何も分からない……分からないが闇の戦士たちの戦いは描き切っていると思うので、問題なく楽しめます。いやでも続きはどこかでやる……の……? ジャグジャグとアレとかさぁ……?

多分ですけど、続編はまぁまぁの地獄になるんじゃないかなと感じてます。

キャラクターの再解釈

この舞台のキャラクターって、そもそも力を発揮できない人間態に固定されている時点で原典とはちょっと違うんですよね。

でもそれだけじゃなくて、恐らく初見の方にも向けて作られたこの作品では、それぞれのキャラクターを改めて定義し解釈している……ような気がします。

例として、ジャグラス・ジャグラー。

TV本編での彼の心情というのは、筆舌に尽くしがたい所があります。
ウルトラマンに選ばれなかった事を起因とした挫折や、選ばれた親友への挑戦。かつて自分を差し置いて光の戦士になった男への、怒りや憧れ、期待と憎しみ……同じく正義を求めていた筈なのに、どうしようもなく闇に堕ちてしまった剣士の変化。闇の仕草と評される妖しくも魅力的な所作の数々と、その奥に隠された冷静さのコントラスト。

葛藤や諦めの感情に苛まれつつも、何やかんやと正義の味方を行おうとする彼が、舞台版ではどう描かれていたか。

もちろん、基本的な要素は据え置かれています。
けれどもこの舞台でのジャグジャグは、本編よりもトリックスターとしての面を強調されているように感じました。

ガイさんがいないからっていうのもあるんでしょうけれども。
闇の仕草もセクシーさや異様さは除かれ、どこか飄々とした印象が強い。とはいえ密かに暗躍し、目的を達成しようとするずる賢さは、間違いなく『劇場版オーブ』でのジャグジャグのもの。まさしくダークヒーローとして解釈されている印象を受ける。だが逆に、『劇場版ジード』で見せた選ばれなかった者でありながら戦う意地のような気配が、舞台版では薄い。

ウルトラマンベリアルも、映像作品では時期によって語り口が違うキャラクターだ。ウル銀~ベリ銀では粗暴な印象が先に立ち、列伝内では更にガキ大将のような輝きを見せつけたベリアル陛下。けれどCV変更以後はねっとりしたダウナーな気配が混じり、『ジード』ではこれまでになく高い知性があるように感じさせられた。もちろん声の印象による部分も大きいのだろうけれど、ベリアル・ベリアル陛下・ベリアル様、どの時期のベリアルかによって若干印象が異なるところがあるだろう。

舞台のベリアルは陛下寄り。
光の国への復讐、というコアを守りつつ、粗暴な悪の帝王としての側面を強く押し出している。

上記2キャラに限った話ではなく、それぞれのキャラクターはきちんとその核となる部分を継承している。継承しつつ、TVと地続きの彼らではないと思わせる面が垣間見えるのだ。それでいて不思議とこのキャラらしくないとは感じないのは、そもそも姿が違うという前提があるからかもしれない。

もちろん、普段から各所で行われている着ぐるみでのショーにおいても、キャラクターの再解釈と呼んでいい現象は存在している。ヤンキーみが増しているゼロや、若者感溢れすぎるギンガなどを見たことのある人もいるだろう。キャラクターの設定が分かりやすく拡大されたショー。時々そこにキャラのブレを感じることはあれど、まぁそういうものだと受け入れるタイプのもの。

舞台におけるヒールズの描写も、彼らのキャラクター性を分かりやすく伝えるために取捨選択されている。けれどそれは、インスタントに表層をなぞるものではなく、キャラクターの在り方に向き合った結果であるように見える。

舞台の彼らは、私たちの知る彼らである。
けれども全く同一の存在ではない。

人が演じる彼らではなく、人として改めて彼らを見つめなおした。
そんな印象の中で見いだされる微妙な差異は、却って舞台上の彼らへの興味をもたらす。この咀嚼の具合がなかなか良くて、全編に渡る満足度の一因となったことは間違いない。

イーヴィルティガ、という新キャラ

再解釈だなんだとそれらしいことを語る中、ヒールズには異質のキャラクター性の持ち主が一人いる。

イーヴィルティガだ。

彼は本来、闇の巨人ではない。
ティガと同じく光の巨人であったものの、光の遺伝子を受け継ぐ科学者マサキ・ケイゴの野心が、その光の巨人を暴走させてしまった。

神として人類を導く。
マサキの野心は正義とは程遠く、故に光の力を制御しきれなかった。
けれど事実、やがて迫りくる闇にマサキは立ち向かいたいと感じていて……

終盤になり、投獄されていた彼はティガを救うために力を貸す。
己の間違いを認めたマサキは、二度と同じ過ちを犯しはしないだろう。

けれどもここに、イーヴィルティガと呼ばれる戦士が復活した。
そして復活した彼は、混濁する意識の中で思う。

イーヴィルとはなんだ?
ティガとはなんだ?

当然ながら、彼はマサキ・ケイゴではない。

けれども、あの時のマサキの邪心はイーヴィルティガと呼ばれた光の巨人の意思を、闇に染め上げてしまっていた。

イーヴィルティガという名に拒否感を示しつつ、自分の名前さえ思い出せない。戦う意思はないはずなのに、自然と体が敵を痛めつける。

他のキャラクターが本編と同一の意識を持っている中で、彼だけが完全に新しく描かれているキャラクターなんですよね。
で、その描かれ方が凄く……好みです……

舞台の一年前、ヒールズ発表の後のツイート。
はちゃめちゃに解釈一致であることが分かる。

舞台上での彼は、いかにもマッドサイエンティストじみた狂気的かつ傲慢な甲高い早口セリフが印象的。けれどその狂気は、マサキ・ケイゴのものではないんだよね。狂った科学者による汚染、というキャラ性を咀嚼して組みなおされた感がある。

でも舞台上のイーヴィルさんは、時として正気な側面を覗かせる。
落ち着いた雰囲気と、誰かを守ろうとする意志。長くは持たないけれど、マサキの中にも確かにあった守護の意識が本来の彼を僅かに蘇らせる。

この落差が、好き。
イーヴィルティガという存在しない闇の戦士を描くに当たって、こういった解釈のものが出てきた事実が嬉しい。

正直な話、『舞台観てよかった』と思わせる理由の大部分がこのイーヴィルティガの描かれ方だったりします。
超古代文明の在り方についてサラッとカミーラと意見が分かれるのも良し。

終わりに

てなわけで、楽しんで拝見しました。

もちろん事前情報とかは色々出てたんだけど、こう……キャラクターの解釈ってストーリーの深い部分に関わってくるから、周知もしづらい所はあるよね。期待と不安が半々の状態で観始めたんですが、結果としてこのように大満足しているわけです。

まだ観てない、って方がいたらぜひ確認してみてほしいです。
レンタルでも出てたので。というか私もレンタルにあるの発見して「あっじゃあ観よう!」と気軽に手に取った人間なので……

今後、この初演版に更にサイドストーリーを追加した『SHINKA』版のディスクも出るみたいなんですけど、それはいつ見れるかちょっと分からんです。めちゃくちゃ面白いからぜひ見てくれって声があったら届けてほしい。

それはそれとして、もし続編や更なる公演などが決まったら、今度はちゃんと生で観てみたいなと感じています。
ジャグジャグのアレとか気になるし……


長くなりましたが、感想はこれで終わりです。

最後はこれで締めましょう。
せーの、闇~~~~っ!!


【終わり】

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