「肋骨さん」読もうね。―『吾峠呼世晴短編集』感想


皆さん『鬼滅の刃』好きですか?
面白いですよねホント。アニメはちょっと終えてないんだけど、メディアミックスも好評みたいでファンも増えてすごく嬉しいですよね。

私も鬼滅大好きで、っていうか吾峠呼世晴先生のマンガ大好きで……最初に読んだのがジャンプ本誌に掲載された短編『肋骨さん』なんだけど、これがまた滅茶苦茶ツボに刺さる作品だったから是非鬼滅ファンにも読んでもらいたい、んだけどまぁかつての読み切りだからなかなか読む手段が無……



あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!


「吾峠呼世晴短編集」が発売されているぅぅぅぅ!?

https://www.shonenjump.com/j/rensai/list/gotoge.html

新刊情報とか最近ちゃんと追ってないので、発売直前や発売後に知るようなことも結構多い身です。

短編集も直前に知った。あんまりチェックしてないんだそういうの。
書店に行って「おっ」てことも多い。


さておき、短編集発売しました。
前述の「肋骨さん」をはじめ、鬼滅のプロトタイプともいえる「過狩り狩り」や、呪いをテーマにした「蝿庭のジグザク」、ジャンプNEXTに掲載されていた読み切り「文殊史郎兄弟」の計四つの短編が収録されています。

過狩り狩りは以前にジャンプラでも掲載していたので、個人的には文殊史郎兄弟だけが初見でした。良いキャラしとる。

人気連載漫画家の昔の読み切り、以降の作品に受け継がれた作者の強みをダイレクトに堪能出来る感じがして好きです。
あと、プロトタイプ作品に登場する「デザインや設定が一部共通しているキャラクター」を見るのもこれまた好き。
過狩り狩りで言うと、珠世さん愈史郎という吸血鬼が登場します。設定的に完全に別世界だけど、なんか楽しいですよねそういうの。

『肋骨さん』について

読み切りはどれも吾峠先生の味が出ていて好きなのですが、特に注目し、再読後も一押しなのは「肋骨さん」。

「肋骨さん」は、人の気を見ることの出来る青年が、浄化師として人に憑りついた邪気を払うお話です。

邪気に憑りつかれた人間は、おかしくなる。精神の歯止めが聞かず欲望のままに行動するようになる。
主人公アバラはそんな邪気付きとなった人間と戦い、これを祓う。

邪気付きとなった人間は尋常ならざる力を使えるようになるので、アバラは特殊な布を用いてこれと戦います。能力バトルマンガという捉え方も出来ますが、「肋骨さん」の魅力はバトル部分より、キャラクターの性質やセリフ回しの部分が大きいかなと思います。

何処となくとぼけた、緊張感の薄い噛み合っていない会話。
鬼滅でも時折表現される部分ですが、肋骨さんではそれが顕著に、バトル中に放たれるので妙な空気感が産まれます。それが何故だか心地いい。

それと、主人公・アバラのキャラクター造形が良いんですよね。

アバラは邪気付きを祓い、傷つけられた人々を守るために己の身を顧みない。傷を受け血を流しても、痛みに膝を屈することが無い。

献身的かつ英雄的なその姿勢はけれど、むしろアバラ自身の自己肯定感の低さに起因するものだった。

かつて自分を助けてくれた底抜けの善人を。
自分を助けたが為に失われてしまった彼と彼の家族の幸せを。
自分なんかの為に無駄にしないために、アバラは浄化師となって他者の幸福を、命を守らんとする。

そうでなければ、自分が彼の代わりに生きている事に意味が無いと。
ひいては、彼の犠牲そのものが無駄になってしまうと、思っているから。

アバラは自分がその末に死ぬことを何とも思っていない。
かつてアバラを助けた男の守護精霊だった河童は、アバラのそんな戦いを見ていられず、顔を覆ってうずくまってしまう。

何を考えているのか分からない、けれど献身的で超然としたヒーロー、かと最初は思わせつつ、実際の所は後悔に引きずられて後ろ向きのまま歩いていた主人公。

そんな彼が、助けた相手の言葉で前を向けるようになっていき……

一連の話の流れの、全体に流れる哀しさと優しさが心に残る。
鬼滅の設定面での源流が過狩り狩りとしたら、ストーリー面での源流は肋骨さんなんじゃないかなぁ、と感じます。吾峠先生の源泉掛け流し作品。

鬼滅の独特の雰囲気や優しい部分が好きな人は、特にこの肋骨さんを読んで欲しいな……と思うのです。

共感と不理解

鬼滅を含め、多くの吾峠作品で共通しているなと感じているのが、キャラクター同士の距離感。

言葉を交わしていても、思想や情報の違うキャラクター同士は簡単に理解し合えなくて、時として言葉が噛み合わない事がある、という描写。

「ひとりで何話してんの?」
「河童がいるよ」「そうじゃ」
「えっいないよ 大丈夫?」
「大丈夫!朝ご飯ちゃんと食べてるから」
「朝ご飯を食べていてそんなふう? 大丈夫ならいいけど…」

肋骨さんで言うと、上記のシーンとかとても好きです。
アバラには河童の姿が見えているけど、声を掛けた少年には見えていない。でも少年の心配の意図を理解しているのかしていないのか、「朝ご飯を食べてるから」と独自理論で突き通すアバラ。少年も少年でそれに流されてしまうが……河童のことは多分一切信じてない。

ここでアバラと少年は全然理解し合えてはいないんだけど、心配していること、されていることを感じ取ってはいるから成立している。

鬼滅とかだと、2巻で鬼の行方を探るため地面の匂いを嗅ぐ炭治郎に、青年が「何してるんだろう……」と戸惑うシーンとかもありましたね。

そもそも口数が足りなくて意図が全然伝わらない冨岡さんとか、初見の印象が最悪すぎる柱の人たちとか、別種の敵に見えなくもなかった伊之助とか、吾峠作品の中には簡単には理解し合う事が出来ない相手・状況が多く登場するような気がします。

人と人とは簡単に分かり合うことができない。
「蝿庭のジグザク」でも、ヒロインが呪いを受けた理由は結局の所コミュニケーション不足であったりとか、色々キチンと説明しているんだけどちゃんと理解してもらえない主人公・ジグザグとか、不理解の描写がかなり多かったように思います。

じゃあ他人同士は永久に手を取り合えないのかと言うと、そうでもない。
キチンと自分の心を偽らず他人と言葉を交わせば、その内容によってはしっかりと相手に響く事も、ある。ある種一方的な、すっきりした理解し合える作劇ではないものの、だからこそ互いの心が噛み合った時に得られるものは大きく、響く。

鬼滅の話に戻ると、炭治郎は底抜けの優しさで、時としては鬼にすら慈悲を見せる。その慈悲によって、死に際の鬼は何かしらの光を取り戻すことも、ある。……のだけど、一方で炭治郎の言葉が酷く腹立たしく聞こえるものもいるし、炭治郎自身自分が正しいと思えば相手の骨や歯を折って平然としている男であったりして、あまりにも我が強い。

そういった各キャラクターの我の強さこそが、吾峠作品の人物像の特徴と言っても良い……のかもしれない。
相手の話を素直に聞くキャラが少ないとも言えなくはない。のだけど、だからこそ各キャラクターの意志が強くセリフや行動に現れている感じがして良いんですよね。

キャラクターの我の強さで言うのなら、短編を一通り読んでもやはり鬼舞辻無惨に敵うキャラクターはいないように思えるので、無惨はやっぱりラスボス格の存在なんだなぁと思います。究極の我ですよね無惨様。だめだ、お終いだ……!

確かに僕はスケベですが君は蟹みたいだね
そしてすごくいい匂い 何のシャンプー使ってるの?

これは「肋骨さん」の主人公アバラのセリフです。
これだけ抜き出すと意味が分からないかもしれませんが、これでも会話は成立している。しているのだけど、そこに互いへの理解は恐らくない。言葉だけを拾って投げ合っているドッジボール状態。不理解を前提としているが故に描写出来るセリフの一例だと思います。

こういったセリフ回し、親切か不親切かで言えば不親切なんだと思います。
すんなりと意味を通してくれていない。けれど言いたいことは伝わるし、個々のキャラクターが素直に口にしている言葉だから、妙に頭に残って心地よい。鬼滅では非戦闘パートでよく見かける微妙な噛み合わなさ。この空気感が良い。ズレの呼吸。

とにかく読もう

どこまで語っても、結局の所これはマンガなので。
吾峠先生の独特の画と共に並んでいないとどんなセリフも魅力半減なので。

まずは読んでみてもらいたいと思うわけです。
もし貴方が鬼滅ファンなら特に。そうでなくとも兎に角。

集英社公式HPでの試し読みは『過狩り狩り』の途中までですが、私の一押しは何度も言うように『肋骨さん』です。肋骨さんを読んでください。良いだろ。お願いします。

ジャンプコミックスなんだけど、装丁や紙質も他のJCよりちょっと良い作りになっていて、物理で所持するのもとても良いですよ。


ではこれで終わります。
お読みいただきありがとうございました。


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