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知足 本当の意味での足を知る

新石器時代の革命によって農業の発達により我々は食糧を貯蓄することができるようになった。そして産業革命によってさらに我々は安定的に食糧やものを手に入れる便利な世の中を作ることができた。その恩恵で餓死であったり命がけで狩に出たりする必要がなくなったことは人類にとってもすごく重要なことだと誰もが学校の授業で習ったであろう。でも、結果足を知ることができない人々が殆どになってしまったのではないかと私は思う。

最近起きたコロナに寄る影響を考えてみて欲しい。コロナによってまず最初に店舗から消えたものはトイレットペーパー、マスク、石鹸、アルコールジェル、缶詰などだった。明日必要ないものなのに人は数ヶ月は必要になるであろうと未来を予想して行動する。もちろん未来を予想して行動することが悪いことではないが、買だめをしすぎることによって本当に必要な人が買えなくなってしまった。

足を知るということはすなわち己を知るということでもある。もちろん今日食べる物があれば明日のことはどうでもいいというわけではない。しかし1ヶ月、3ヶ月ないし1年も消費するのに時が必要な量を買だめする必要はないということを言いたい。

禅語で知足と書いてチソクと読む。一般的には足を知ると読むと思う。それは自分にとって必要な量であったり必要なものをしっかりと把握するということだ。しかし、現代人は足りるかどうか以前に自分を知る機会を失っているのではないか?自分を知るということは自分の好き嫌いだけでなく、自分の限界から自分がどのような影響をミクロからマクロの世界までわかるということだと私は思う。

仏様の教えに因果応報という教えがあります。それは全てのものは因果関係によって成り立っている。自分一人で生きているわけではないということです。自分がよければ全てよしと思っている間は知足、つまり自分にとって足りる量がわかっていないということです。

いつか必ず自分の行は自分に返ってくる。人を助ければ、必ずその人ではなくても回り回って自分に返ってくる。自分が人に分け与えれば必ずその分返ってくる。

是非みなさんには知足という言葉を頭の角に置いておいていただき、欲張りたくなってしまったときには残せば誰かが助かると思ってください。今改めて自分がものに溢れているかどうか見つめ直してください。

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