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これがイケメン悪役の元祖!手塚治虫史上最凶悪役登場!「バンパイヤ」

今回は恐怖とサスペンスに満ちた怪奇マンガ「バンパイヤ」
お届けいたします。
本作はこれまでの手塚治虫のイメージを覆し当時の少年誌としてはかなり
ショッキングな描写が話題を呼びました。

先生自ら「殻を破りたかった」と語る意欲作は後に手塚治虫の代表作のひとつとなるのですがそこに至るまでには、想像を絶する苦悩がありました。

手塚治虫の作品年表から見ても大きな転換期となった本作誕生のキッカケと
その魅力を掘り下げていきますのでぜひ最後までお付き合いください。


それでは本編いってみましょう。

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本作は1966年から67年にかけて
『週刊少年サンデー』に連載された作品であります。

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あらすじは
満月を見たり激しい怒りにかられるとオオカミに変身してしまうバンパイヤ族の主人公トッペイがワザとではないにせよ人間を殺してしまったところを
間久部録郎ことロックに目撃されてしまいます。
このロックは冷酷で残虐非道、自らの欲望のために突っ走る悪童なのですが
そのロックに弱みを握られてしまったトッペイは自分の意志とは関係なく変身能力を利用されロックの悪事に加担させられていくんです。

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一方そのころ、
これまで人間に虐げられていたバンパイヤ一族が革命を起こそうとしていたのですが、その革命をやめさせようとするトッペイ
そしてその革命をも利用して思い通りの世界を作ろうとするロック

それぞれの思惑が交錯し最後には世界はどうなってしまうのか…
というのが本作のあらすじであります。


本作はタイトルやオオカミに変身する設定からも分かるように
トッペイという少年が主人公
手塚作品おなじみの人間と獣族との関係の中で悩み苦しむという
異形の者の苦悩を描いていく設定だったのですが…

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この作品には大きく2つ、他の手塚作品と異なるところがあります。

まず一つは
主人公のトッペイを差し置いて
脇役のロックがほぼ主人公になってしまっていること。

そしてもう一つは
この脇役ロックが手塚史上最高クラス、超ド級の凶暴性を披露した
ぶっち切った悪役キャラであるということ。です。

この2点の大きく異なる作風はこれまでの手塚作品と比べ明らかに異質な雰囲気を放っています。事実この悪童ぶりは手塚作品におけるイメージを180度覆すほどの衝撃を与えました。

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とにかくこのロック
自分以外は虫ケラ以下のゴミクズのような存在として扱う超エゴイズム全開の悪役で罪なき者も容赦なく葬り去るまさにモンスターのような
悪のキャラクターであります。それはもうおよそこれまでの手塚キャラには似つかわしくない徹底した悪役、完全に主人公を喰っちゃってます。

これらの設定に加え恐怖とサスペンス要素を持った怪奇マンガであった
「バンパイヤ」は当時の少年誌としてはかなりショッキングな描写として捉えられものすごく非難が殺到したようです。

これに対し手塚先生はこう記しております。
ちょっと長いですがそのまま引用します。

最近、ある少年誌に、「バンパイヤ」というマンガをはじめた。
これに、物凄く非難が集中した。
「まれにみる駄作! やめちまえ。手塚はもう終わりだ」
「バカヤロー手塚、絵は荒涼、ストーリーは陳腐。
独創のカケラもない。そんなに金が儲けたいか」
ボクはとび上がり、ノド仏をかきむしり、鼻毛を五本ずつひっこ抜き、
ウオノメをナイフでけずりとって激怒する。
そんな読者は、たいがい高校以上のオールド・ファンに多い。
くやしい、有り難い、悲しい、情けない、にくたらしい、嬉しい、
やるせない。その人達は手塚節を求めてくれているのだろうな。
              ~中略~
しかし、そうすることによって、ボクは完全に、
手塚節のマンネリ化に終わってしまうことがこわくてしようがない。
(『話の特集』 1966年10月号 手塚治虫への弔辞 より抜粋)

というように
明らかに狙って作風を変化させたことが分かるかと思います。

そしてその変化は従来のファンも大事だけれども
それよりも世間からマンネリと呼ばれる方が深刻であると感じていたからなんですね。

事実これをキッカケに手塚治虫にとって作風の変化、
大きなトレンド転換が起こるターニングポイント的作品になっていくのですがこれは後半に説明します。


「申し訳ないないけどオールドファンを裏切る」

とも言っているように既存の手塚治虫のイメージを覆した本作はファンからのクレームと同時に新しいファン層も獲得していくことにもなります。

それは良くも悪くもこのロックという前代未聞のキャラが登場したからであります。
およそこれまでの手塚キャラからは想像できない徹底した悪役の登場。
主人公の存在をも喰い散らかしてしまうほどの圧倒的存在感。
もうまき散らす悪のかおりがとにかくエグイです。
だけれどもこの正統派の真逆とも言える、
ドス黒い悪役の登場がめちゃくちゃ人気出るんです。

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実質的に調査していないので分かりませんけれど
ボクはこれが「美形悪役」の走りなんじゃないかと思っています。
間違っていたらごめんなさい(笑)


美形で知性のある悪党
チンピラ的悪党ではなくて、美しくかつ頭が良くてそして冷酷非情、
もはや日本のサブカルには無くてはならない「イケメン悪党」。
それの走りなんじゃないかと思っております。

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シャアとかディオとか
危険なニオイのする男って男子も憧れる惹かれると言いますか
この手のキャラって性別を超えた人気があります。

しかも女装もできるほどの美しさでジェンダーレスな人気も併せ待って
さらにいけないと思いながらも利用される喜びをも感じてしまったり
オラオラ系っぽいけど実はオラってなくて元祖ツンデレとも言える感じ…。

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美形の悪役ってもはや無敵とも言えるジャンルですが
まさにそれの走りです。
そして今言ったこと全部やっちゃってるのがこのロック。

手塚先生がもがき苦しみ
規制の手塚キャラ路線を意識的に飛び出そうとして生まれたのが
奇しくもこの「イケメン悪党」の登場に繋がったというわけです。

このキャラ設定誕生の経緯においても、手塚先生の当時の殻を打ち破りたいと願う心境が「あとがき」からも垣間見えるのでご紹介しておきます。

人間はだれでも、あばれたくても、あばれられないときがある。
人をなぐりたくても、なぐれないときがある。
それはみんな、人がきまりや道徳にしばられているからだ。
そういったものにしばられないで、やりたいとき、すきなことができたら、どんなにたのしいことだろう。
もしかしたら、それがほんとうの生きがいではないだろうか。
それとも、きまりや道徳をよくまもって、
まじめ人間でくらすのが、いちばんしあわせなのだろうか? 
どっちがいいことなのか、
それをこんどのまんがのなかで、さぐってみよう——。

(講談社手塚治虫マンガ全集「バンパイヤ」あとがきより)

という本来誰しもが持っている抑圧された思いを素直にぶちまけてみようという想いが「バンパイヤ」誕生のキッカケとなっていることが分かります。
自分は世間一般的に思われている「よいこちゃんの漫画家」ではない事は本人が一番よく理解しているし
だから悪魔と契約する「ファウスト」みたいな作品が大好きなんだけれども
世間では「品行方正」の作家のように思われてそういう世間とのギャップがこの時期に心の中で大きく渦巻いていくんですね。

この背景にはトキワ荘組で手塚治虫を師と仰ぐ世代がどんどん活躍し
自らが担っていたマンガブームが次の世代へ移行していった焦りもあって
先の「マンネリが怖い」発言に繋がっていくのですが
そうした揺れる心に潜在的に秘めていた「変身願望」「悪へのあこがれ」が化学反応を起こして完全悪役のロックが誕生するんです。


手塚先生って元々
「人間が誰でも持っている「変身願望」についての論文も書きたい」とまで言っていた「変身」に憑りつかれた変態作家でありますからそこに眠っていた人間の凶暴性「猟奇的な美学」を掛け合わせて凄まじいキャラが誕生しちゃった…。

そしてそのキャラこそ
今日における「イケメン悪党」の元祖になったんじゃないかと
勝手に思っておる次第であります。

ケガの功名的に生み出されたこの「イケメン悪党」という新手のジャンルと
人間本来が持っているドス黒い側面を描けたことで、
これ以後の手塚作品の表現が大きく変化していくのですが…
この続きは次回お届けしようと思います。
次回は「バンパイヤ」がもたらした影響と以後の作風の変化
アニメ化についてお話しようと思います。

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ちなみに「イケメン悪党」の元祖については
あくまでボクの仮説でありますのでご意見、ご指摘あるかたはどしどしコメントください。「あ、そういうのあったなぁ」って忘れてるものもあるかも知れませんしね。

最後までご覧くださりありがとうございました。


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