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【火の鳥異形編】自分自身に殺され続ける逃れられない罪と罰

今回は「火の鳥異形編」お届けします。

こちらは非常に短く短編的火の鳥ですので読みやすいです。
登場人物も少なくシンプルですから初めての方とか
ちょっとだけ読んでみたいという方にはちょうどいいボリュームですね。

とはいえそこは火の鳥
しっかりと手塚治虫節が入っているので短いからと言っても
他のシリーズには劣らない火の鳥の面白さを堪能できますので
ぜひ最後までご覧になってみてください。


それでは火の鳥異形編行ってみましょう

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いきなりですが
この作品を一言で言い表すならズバリ!


「自分自身に殺される逃れられない罪と罰」

と言える作品になっております。

手塚先生は本作について

「人間が他人の生命をないがしろにしたために、
自分に報いがくるという、ごくシンプルなテーマを
ドストエフスキーの「罪と罰」のような作品として
過去と未来の2つのエピソードで趣きを変えて描いた」

と言っておられます。

ここでいう過去とはこの異形編のことで
未来とは生命編のことを指しています。

つまりこの異形編と生命編は
同じようなテーマ性を持った短編として
火の鳥の題材にしたというわけですね。

本作のテーマがすでに明確になっているので非常にシンプルです。
先にも申し上げました「罪と罰」が物語の主題であります。

それではあらすじを見ていきましょう。


舞台は戦国室町時代
主人公「左近介」は従者の可平とともに、
蓬莱寺の八百比丘尼という尼を殺しに出かけます。
こちら本編のふりがなでは(はっぴゃくびくに)となっていますが
(やおびくに)でもいいそうです。

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なぜ殺しに向かったのかと言いますと
左近介は残虐非道な父・八儀家正によって
自身の人生をめちゃくちゃにされたことで父を恨んでいました。
その父は重い病にかかっており、この八百比丘尼がどんな病でも治せるということで父の治療をすることになりました
しかし左近介は父の病気が治らない方が都合がよいとの理由で
この八百比丘尼が邪魔だったんですね

そもそも父を殺せば済む話なんですけど
左近介は父に恐怖して殺せません。
なのでこのまま病で死んでもらおうと…。
故に八百比丘を殺害を計画したというわけです。

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ですが
ここから左近介の悲劇が始まります。
八百比丘尼の殺害に成功したものの
左近介は帰ろうと思っても八百比丘尼の寺から出ることができません。

なにやら呪いとも魔法ともとれる
不思議な力によって寺から出られなくなっちゃったんですね。

そうこうしているうちに
八百比丘尼の元に住民が訪ねてきました。
どうやら八百比丘尼は近隣住民の治療をしていたようで、
病人が訪れてきちゃうんです。

止むなく左近介は八百比丘尼に成りすまして病人を治療をするのですが
そんな事やったこともないのでどうしていいのか分かりません。
しかしそこでなんでも治してしまう火の鳥の羽を発見し
これをかざすことで治療ができることを知り
見よう見まねで病人の治療を続けることにします。

それからは無心で病人の治療に励み数年の時が経ったとき
衝撃の事実が明らかになります。

戦争が激化したある国で
「八儀左近介」という後継ぎが誕生してしまったことを知ります
なんと時代が逆行してしまい
同じ世界に自分が誕生してしまったのです。

つまり八百比丘尼とは本当の自分の姿であり
誕生した自分(左近介)により殺される運命を背負っていたということを知ってしまうんです。

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そんなある日枕元に火の鳥が現れ
自分が贖罪のために今の行いを与えられていることを知ります。
罪のない者を殺した罪として
生き物たちの命を救い続けるという罰を背負わされていたのでした。

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「いずれ自分を殺しにくる自分を待つ悲劇」

火の鳥から受けた罰というのは
自分に殺される続けるという無限ループ地獄が炸裂していたのです。

さぁ果たしてどんなクライマックスを迎えるのか。
…というのが本作のあらすじになっております。


この八百比丘尼は、
800歳まで生きたとされる伝説の比丘尼(びくに)として日本各地にその名を知られている尼のようで
八百万…つまりは(やおよろず)永遠の命「不老不死」の伝承が伝えられているので手塚先生はこれをモチーフにしたと思われます。


さぁそんな不老不死を手に入れた八百比丘尼はあろうことか
未来永劫繰り返し殺されつづけるという拷問のような裁きを受けます。

しかも自分に殺されるという
あまりにも恐ろしい因果応報を喰らうんですね
まさに非業の運命とはこのこと。

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この左近介
一見すると幼き頃から父に虐待に近い扱いを受け
女でありながら(この主人公実は女性なんです)

「跡継ぎの男子」として家督を継ぐ男として育てられ
女性であることを許されない
女性を捨てて生きてきたわけですね

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初恋の相手も父の命令で戦場に出て死亡
愛する母をも父によって失い
自分の人生すべてを狂わした父ですから、そりゃあもう許してはおけなくなるんですね
めっちゃ分かります。左近介も可哀そうな人生なんですよ。

しかも自分の人生だけでなく多くの人々を苦しめている
残虐非情の父はもう殺すしかないと心に決めるわけです。
そんな背景があったからこそ父の病を治そうとしていた八百比丘尼を
やむを得ず殺すしかなかったという可哀そうな主人公なんです。


しかーし!!
そんなもん火の鳥にしたらしったこっちゃないです。


「あなたは人殺しの父を憎んだ 
それなのに あなた自身 人を殺したではないか?」

「しかたがなかったというのですか?罪は同じです」

「未来永劫 あなたはくり返し殺されつづけるのです」


…と自分自身に殺され続けるという超ドMとも言える
非常に重い罰が執行されます。


「え~~~~~~~~~~~~~~!
乱世時代とはいえ親父の方が残虐非道の事もしているし、
民衆にも嫌われているし
身内も平気で裏切るし
罰を受けるならオヤジの方じゃね?」

…とも思ってしまいそうになりますが


犯した罪には誰であろうと火の鳥は容赦ありません。
問答無用の無限ループ地獄炸裂!

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三十年後より先の明日が来ないという絶望的な刑
循環する時間の中に閉じ込められてしまう恐るべき因果応報

これは同じく時間が循環する宇宙編の牧村とか
無限の時間という意味では未来編のマサトもそうかもしれないですね
「生きる苦しみ」「死ねない恐怖」
ただただ絶望を味わせるという火の鳥の中でも最高級の罰です。

マサト(未来編)は罰ではないんですけどね。


これらには有限の時間をもっと有効に使うべきという
手塚先生のメッセージも含んでいますね。
有限だからこそ価値がある、…と
時間もお金も無限にあり続けると価値はなくなります。
お金なんかも発行枚数に限りがあるから価値が担保されていますし
時間も限りがあるからその大切さを知るんですね。

普段何気なく生活しているとそういったことが忘れがちになりますが
この時間の価値を描いた描写というのは
時空を飛び越えた火の鳥ならではのテーマ性であります。


本作「異形編」では
「人間が他人の生命をないがしろにしたために自分が報いがくる」という
本当にシンプルな罪と罰を描いています

生命はいかなる理由があろうとも軽んじてはいけない
どんな罪も同じであると。

自分だけが正義であるとか
自分の行いは正統性を持って行動していると人間は思いがちですが
正義なんてものは見る側によって形を変えてしまいます。

戦争なんかがまさしくそれです。

お互いが正義のために戦い
互いに正義を主張する

いかなる理由をもってしても、
人殺しを正当化する理論なんてあり得ないんですよね


これぞまさしくドストエフスキーの「罪と罰」
貧しい学生ラスコリーニコフが質屋のおばあちゃんに刃をふるって
罪の意識を感じ精神が病んでいく…
命の尊さは変わらないという心の葛藤を描いた傑作です。

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良心に従った犯行であったり
過ちを自覚して、苦悩する姿であったり

はたまた「1つの命で多くの命が救われる」であったり
テーマ性は「火の鳥異形編」と非常に似ています。

というのも手塚先生がこのドストエフスキーの「罪と罰」を参考にしていると公言しているので似ているのは当たり前、
これぞ手塚版「罪と罰」と言っても過言ではないでしょう。


世の中を変えるには誰かが犠牲になっても仕方がない
そのためなら人を殺すことになんのためらいもない
憎しみからは何も生まない
その罪滅ぼしとして人の役に立つことを続ける
虐げられた不幸の人々を無限に救い続ける

まさしく罪を悟って苦悶する姿を
火の鳥が分かりやすく代弁してくれています

ぶっちゃけドストエフスキーは難しいんですよね。小難しい。
登場人物もやたら多いし名前もややこしい。
名作中の名作ではありますがとっつきにくいし
なにより哲学的で理解が難しい(笑)

だからドストエフスキー読むくらいなら
火の鳥読んだほうが早いし面白いしとっつきやすい。
本家ドストエフスキーなんて罪を犯すまでがやたらめったら長いですけど
手塚先生は冒頭から罪を犯します!
ですから飽きさせません。
ここらへんはさすがです。

構成力も見事ですし、火の鳥のテーマである因果応報
そして時空を超えたSFチックなパラドックス要素も含んでおり
読み始めるとグイグイと引き込まれていきます。

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そしてタイムループものなので
最後まで読んだ後に、また冒頭のページに戻って
「ここに繋がるのね」なんて読み返してみたくなる作品でもあります
非常に読みやすいですしぜひ読んでみてください。

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毎回ですけど
こんな短いページ数でよくこんな重厚なテーマをカチ込んでくるなぁって
本当に驚きですね。
こういう読みやすさも手塚先生の恐るべきことなんですよね。
あの難解なドストエフスキーを読んで咀嚼して手塚色にアレンジして作品として仕上げる、しかも短く簡潔に、これはスゴイことですよ。

ヘタに小難しい本を我慢して読むより

とりあえず火の鳥読んどけ!

って思います。
そういう側面から見ても、
もっと多くの方に火の鳥を手に取って読んでみて欲しいと思います。


というわけで今回は火の鳥「異形編」お届けしました。


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