二十歳のころ 第五十九章

僕は電車でブリズベンからシドニーにとんぼ返りをした。グリーブポイントのユースホステルには顔見知りになったワーホリがまだ多く残っていた。僕は戻ってきちゃいましたと彼らに軽く告げた。そしてもう一度シドニーでフラット探しと仕事探しを再チャレンジすると話をした。
僕は情報をユースホステルの掲示板だけで入手するのではなくシドニーのボンダイにある日豪センターも利用しようと考えた。
翌朝、僕はボンダイに行く。日豪センターを地図で探してみるが一向にそれらしき建物は見つからない。僕は困ったなと思った。僕はボンダイの街を歩く。しばらくすると日本人らしき女性が通りを歩いている。僕は声をかける。
「すいません。ボンダイに日豪センターがあると聞いてきたのですがどこにあるか知っていますか?」
「日豪センター。ああ。そこならシティにあるわよ。今から私日豪センターに行くけど良かったらあなた一緒に行く?」
「本当ですか。よろしくお願いします。」
僕は彼女と電車に乗り、シティにある日豪センターに向かった。
日豪センターは多くの日本人で賑わっている。フラットメイト募集の情報もあれば求人情報もある。僕は受付に行き、手続きを済まし、日豪センターの会員になる。
フラットメイトの情報を見るが思ったより家賃が高い。僕は家賃が週百ドル以内を希望していた。しかし掲載されているほとんどの物件は週百ドルを超えていた。
求人情報も見てみる。お土産屋。免税店。日本料理屋。日系企業の事務。どの求人情報も社会経験が必須であると記載されている。学生の僕にとって就職は厳しいなと思った。異国を旅行することは出来てもいざ生活するとなるとハードルは高いなと僕は改めて考えさせられた。
僕は日豪センターまで案内してくれた日本人女性のワーホリに礼を言う。今日のところは日豪センターを見つけた事で僕は満足してユースホステルに戻った。
僕は翌日から五日間連続で日豪センターに通い詰めた。しかしフラット探しの結果は芳しくなかった。僕は手頃な値段のフラットメイト募集の情報を見つけては電話をかける。ほとんどがすでに借り手が決まってしまったと断られた。また男性ではなく女性を希望しているといった理由でも断られた。
仕事探しも芳しくなかった。僕は何社か電話で求人情報について問い合わせた。問い合わせた会社の多くは僕の持っているヴィザについて尋ねた。僕はワーキングホリデーのヴィザでオーストラリアに来ていると告げる。すると大抵の会社はワーホリの方は遠慮していると断った。僕はお土産屋や免税店ならワーホリも受け入れてくれるだろうと考え電話をしてみた。しかしそれも日本での社会経験の有無について聞かれ断られた。
僕は自信を失っていく。持ってきたお金もオーストラリアドルで七千二百ドルを切った。シドニーに滞在しているとお金がどんどん目減りしていく。僕は焦りを感じ始めた。

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