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統合失調症のバリ島サヌール一人旅。


今年の夏休みに僕はバリ島のサヌールに行ってきた。バリ島は僕のオーストラリアの滞在記「二十歳のころ」の時に訪れた土地でもある。28年ぶりのバリ島滞在である。今、現在僕は時間だけはあるバックパッカーではなく、夏休み1週間という枠で旅する旅行者である。

6泊7日で機内泊2日、マレーシア航空を利用し、アビアンハーモニーホテルに宿泊した。

空港に到着して、ビザを購入し、空港で3万円を両替した。そしてエアポートタクシーを利用し、ホテルに向かった。タクシーの運ちゃんに僕は20数年ぶりにバリ島を旅していると話すと、ずいぶん昔の話だなと言われた。そしてお前は家族を残して休日に来たのかと言われた。僕はもうそういう年齢なのだと気づかされた。タクシーがホテルに着くとタクシーの運ちゃんはチップを欲しがった。僕はいくらか渡そうとしたが、バリ島の金銭感覚がわからない。手持ちの500ルピーを渡そうとすると、小さいなと言われ、じゃあ、5000ルピーを渡そうとした。するとタクシーの運ちゃんは説教を始めた。US1ドルが1万ルピーで10ドルが10万ルピー。100ドルが100万ルピーだという。僕はバリ島の物価がわからない。円を渡そうとするともういいとタクシーの運ちゃんはふて腐れて、ホテルを離れた。

そのやりとりを見ていたホテルの受付のスタッフはインドネシア語で僕に話しかけてきた。僕は日本人でインドネシア語はわからないと英語で伝えると、スタッフは初めて英語で応対してきた。バリ島の旅の始まりだった。

ホテルのチェックインを済ますと僕はサヌールのビーチに向かった。


サヌールのビーチは海の沖から吹いてくる風が気持ちいい。僕にとって久しぶりの海だった。もう何年もビーチに行っていない。開放された気分になり、僕はもう満足していた。僕はビーチで海を眺めていた。物売りもほとんどいない。声をかけてくる人もいない。これがバリ島のサヌールなのか。若い頃訪れたクタとは違う。僕が年をとったせいなのか。僕はサヌールのことが好きになった。


僕はホテルに荷物を置き、近所の食堂に入った。レモネードとナシチャンプルを頼む。全部頼んで800円くらいでそれほど安いと思わなかったがリゾート地と考えればこれぐらいの値段なのかもしれない。それにもう僕はバックパッカーではないのだ。

エアコンの効いた部屋で寝てしまい、僕は軽い風邪を引いた。旅の計画では僕はバリ島に着いたら、ホテルや近くの旅行会社でバリ島を巡るツアーに参加しようと考えていた。しかしコロナウィルス禍があったせいか、車をチャーターしてバリ島を回るものはあるが、各国の旅行者が参加するバスツアーはなかった。僕は残念に思った。ホテルのスタッフに話すと今はスマホで旅行会社に自分で予約をするのが主流のようだ。時代は変わってしまったのかもしれない。僕は頭を切り替えた。それなら今回のバリ島の旅はゆっくりしよう。何もしないでゆっくりしよう。

僕はホテルでマッサージをしてもらった。マッサージをしてくれるスタッフは僕が日本から来たと伝えると、ホリデーですねと言われた。僕はチップを渡すと嬉しそうに受け取ってくれた。

僕はビーチに行き、ぼーっと海を眺め、ビーチ沿いのカフェで冷たい物を飲んだ。ビーチには欧米から来た旅行者で賑わっていた。


僕はサヌールで何もしなかった。ただただゆっくり過ごした。
ホテルのスタッフから今度来る時は、オンラインで予約してください、またのお越しを楽しみにしておりますと言われた。

旅に出る前は旅をすることが面倒くさいし、疲れると思ってしまう。たしかに旅はそういうものだろう。今回の旅だって機内泊で一日半を潰してしまう。言葉は英語だし、ご飯だって日本にいればどこの料理だって食べられる。何かのトラブルに巻き込まれる可能性もないわけではない。また僕は一人旅を気にするタイプではないが気にする人は気にするだろう。

今回のバリ島の旅で、旅はもういいかなと僕は思ったりもした。しばらく月日が経ち、仕事のある生活に戻ると、やっぱりバリ島のサヌール一人旅をして良かったと思う。時間に追われることもない。今日、何をしようかな、何を食べようかなとぶらぶらする。人間関係や情報に煩わされることもない。潮風に吹かれながらビーチで海を眺めていた時間がなんて貴重な時間だったと気づく。

僕が二十歳のころオーストラリアを旅した。オーストラリアの旅で出会った大人たちの気持ちが少しわかるような気がした。人生あくせく働くだけではない。観光地を巡り歩く旅だけではない。何かを考える。何かに想いを巡らすだけの旅があっていいのだ。僕はそこまで想いが巡るとなんて贅沢な時間を過ごしたのだろうと考えが変わった。

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