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【映画所感】 子供はわかってあげない 【ネタバレ注意】

健全な夏休みの過ごし方を教えてくれる映画。

まずは、オープニングのアニメーションで、胸を射抜かれる。

「なんだ、この映画は?」

実写部分への導入前から、とてつもなく“禍々しいもの”を観てしまったかのような錯覚。ストーリーを補強する役割から、完全に逸脱している。

実写映画に組み込まれた、劇中アニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』は、それ自体で、ナンセンスでシュールな世界観の長編アニメーションとして、十分成立するクオリティー。

本作『子供はわかってあげない』の原作は、田島列島の同名マンガ。「このマンガがすごい!2015」において上位にランクインするなど、マンガ好きのあいだでは、すでに高評価を得ている作品だ。

主人公は、水泳部に所属する高校2年生、朔田美波(上白石萌歌)と、同学年だが別クラスの書道部、門司昭平(細田佳央太)。

まったく接点のなかった運動部と文化部の二人。ある日の部活後、お互い『魔法左官少女バッファローKOTEKO』が大好きであり、真性のアニヲタということが発覚。

入れるはずのない校舎の屋上からはじまる“奇跡”の数々が、夏休みをバックに瑞々しく語られる。

主役の二人はもちろん、脇を固めるキャストも鉄壁の布陣。

とくに昭平の兄・明大役の千葉雄大は、万人が彼に求める姿を忠実に具象化。ジェンダーの枠をものともせず、満を持して登場してくれる。

諸々の所作が、おそろしいほどに可愛らしく、この上なくうつくしい。セリフはどれも、甘美な響きを伴っていて、目と耳の保養になる。

ストーリーは、美波が行方不明の実の父親・藁谷友充(豊川悦司)を捜し出し、夏休みのひとときを一緒に過ごすといったもの。

娘と父の失われた絆が、少しづつ再生されていくさまを、ユーモアたっぷりに描く。

同じく“夏”がテーマで、プールのシーンが輝いている青春映画として、個人的にずっと印象に残っている『バタアシ金魚』(1990)や、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993)、そして『ウォーターボーイズ』(2001)

『子供はわかってあげない』は、それらの名作と双璧をなすどころか、頭一つ抜きん出ているといってもいい。

少なくとも、今夏公開の『サマーフィルムにのって』以上の盛り上がりを見せてくれないと、納得がいかない。

「アニヲタの目は節穴か!」と、思わず叫びたくなる。

何を隠そう、本作は、アニメファンに捧げられた映画の側面も大いにあるのだ。

出会ってすぐに、推しのアニメ作品を、嬉々として語り合う美波と昭平。二人の掛け合いのリアリティーが、オタク高校生の日常を垣間見させてくれている。

知識をひけらかすことでマウントを取りにいくような、野暮な試合運びはしない。同じ戦場を生き抜く“同志”として、互いを尊重し高めていく姿は、オタクの鑑(かがみ)といえるほど。

美波の口から、ごく自然に「尊い」という言葉が出てくるあたり、オタク中高生に対するリサーチは、相当なものだと感心させられた。

『魔法左官少女バッファローKOTEKO』ファンのあいだで“神回”といわれている放送回を、昭平が録画・所有していたことから、美波が門司家に遊びに行くことになる。

ここからの怒涛の展開が、二人の距離をどんどん縮めて、ラストの屋上シーンへと回帰していく。

自分もその昔、ビデオデッキがまだ自宅になかった頃。『機動戦士ガンダム』の第29話「ジャブローに散る!」を観せてもらいに、何度も級友のMくんの家に通ったものだ。

「この回、めっちゃモビルスーツでてくるねん」

と、連邦軍のジャブロー基地めがけて、降下してくるジオンのモビルスーツが映る場面で、いつもMくんは自慢していた。

美波と昭平同様、自分の厨二の夏もこうやって過ぎ去っていった。

“自分語り”はこのくらいにしておけッ。

本作の監督・脚本を務めたのは、沖田修一。極寒の地で繰り広げられる悲喜こもごもを描いた『南極料理人』(2009)の監督だったのだと、鑑賞後に気づく。

『南極料理人』は、いわば極限状態の中での群像劇。個性際立つ観測隊員一人ひとりのエピソードが微妙に絡み合って、地球の最果ての生活を面白おかしく紹介してくれる、最高のエンタメだった。

どうりで、『子供はわかってあげない』の登場人物のキャラクターも、すべからく立っているはずだ。

監督の手腕は、当時よりさらに磨きがかかっていることは、言わずもがな。劇中アニメの質にこだわり、決して手を抜くことをしなかったことでも証明される。

本編が進むにつれて、冒頭のアニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』の内容が、実写パートの、美波と実父・藁谷友充との関係としっかりリンクしていることを知らされる。

唐突にはじまったアニメーションに多少の違和感をおぼえ、当初、“禍々しい”と表現したが、本編鑑賞後は、“神々しい”とさえ思えてくる。

だからこそ、『魔法左官少女バッファローKOTEKO』のエンディングテーマ「左官のこころに」が、エンドクレジットで再度流れたときには、無上の幸せを感じたのだ。

でき得るならば、もう一度、劇場で聴いてみたい。

『子供はわかってあげない』は、新興宗教の教祖に洗脳されたかのような、恍惚を味わえてしまう。アニメ好きにとっては、危険な青春映画だった。


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