なぜ宇宙は不思議ではないのか

 宇宙は不思議で神秘的なのだけれど、なぜそのことに気づかなかったのだろうと考えていた。一言で言えば「神話」を持っているからだと思う。科学は神話であるというのは耳にタコができるぐらい聞いたが、本当に神話だとは思っていなかった。
 僕は唯物論というものを信奉していたのだけれど、微塵も信じなくなってしまった。学校で科学教育を受けたので唯物論が正しいと思っていただけで、宗教教育となんら違わなかった。
 
 科学というのは理性で世界を「整理整頓」することであって、それがどれだけ洗練された手法であろうと、人間の「世界を説明したい」という古代から持っている欲求となんら変わらない。古代人が自然を神で説明したように、現代人は数式で自然を説明しているだけだ。
 
 科学哲学の肝は「科学的実在論」だと思っている。原子とかクォークなどの「眼に見えないもの」は実在するのか、それとも単なる宇宙を説明するための方便なのか。科学者は「実在」と答えるだろうし、ポストモダン哲学者は「社会的に構築されたものだ」と答えるだろうが、本質はそこにはなくて,
大事なのは科学が「宇宙を人間の尺度で理解したい」という強い欲求に支えられているところだと思う。「心理」の問題だ。「経験」や「合理」といった基準によって宇宙を解釈する。解釈というのは人間化であって、それが真理であっても実在であっても、人間化には変わらない。
 精神現象学は科学的思考が「宇宙に存する法則というのは自己自身である理性であった」と気づく感動的なシーンがあるが、ヘーゲルの「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というテーゼは世界の「人間化」の最たるものだ。

 世界を「解釈」したり「説明」したりすると、世界のことが「分かって」しまう。本当は何も分からないのに。自分が誰なのかも分からないし、宇宙がなぜ存在しているのかも分からないのに「あなたは脳です」「宇宙はビッグバンで誕生しました」という言説によって、宇宙が不思議ではなくなってしまう。「自己」というのは驚くべき謎であるのに「脳」の一言で思考停止してしまう。これが宗教でなくてなんだろうか。

 世界は夜であり非-知であり不条理だ。理解できない。「理解してしまった」状態は、世界の神秘を覆い隠してしまう。当たり前だけれど、宇宙というのは言葉を話さない。人間がラベルをつけているだけだ。科学というのは、人間が勝手に宇宙を喋らせる営みであると思う。宇宙は静けさであり沈黙であるから美しくて不思議なのだから、無粋だ。科学技術の恩恵を限りなく受けている身で言うのも憚られるが、科学は「便利な道具」として見た方がいいと思う。哲学的にも穴だらけなのに「便利」という一点で崇められている。

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