愛のキリトリ

 「哲学探究」に面白い比喩があった。例えば緑の絵具でキッチリ境界を画定すると、キッチリとした定義ができる。例えば「愛は与えることだ」。けれど、言語の実態はそういったものではなく、善とか愛とか使い古された言葉は、いろんな色と形でぐちゃぐちゃになった色の塊で、そこからは〇や♡など、好きな形を取り出すことができる。ぐちゃぐちゃの色形から、恣意的に定義を切り取ることができるので、議論が成り立たない。

 ブログに昔、「愛とは看病だ」と書いたことがある。多分それは比喩とかではなく、僕が昔に看病をされた時に、一番深い愛を感じたのだと思う。あとは「靴を揃えること」とも書いたことがある。どちらも日常的な出来事だが、そういうとこに散らばっているんだと思う。

 愛とかちょっとクサいけれど、大事なものだと思う。「愛」は自由に切り取ることができるけれど、よくない愛もある。愛着、愛執、自己愛…。愛というのは行為だと思うが、恐らく「上手い愛」と「下手な愛」がある。下手な愛をしながら人間は成熟していくんだろうけれど、人生を実験台にして、人間を観察しながら、うまく愛を切り取っていきたい

勉強したいのでお願いします