なぜ小説を書くのか?

 柄谷行人の「日本近代文学の起源」を読んでいるのだが、初っ端から夏目漱石が、文学そのものに対して疑義を呈している。18世紀にヨーロッパで花開いた文学というものを、なぜ日本人が模倣せねばならないのか?
 確かニーチェの「曙光」に「哲学者の欠点は、"善"や"真理"といった概念を普遍的なものだと見なすことだ。本当はそれらの概念は歴史的に創造されたものである」というようなことが書かれていた。それと同じように、僕たちは生まれた頃から当たり前のように「小説」に囲まれた生活をしているが、二葉亭四迷が「浮雲」を刊行したのが1887年らしいので、日本の近代文学の歴史は100年と少しぐらいだ。
 「文学」というものが怪しい。「天才が自らの想像力で物語を創り出す」という前提が怪しい。たかだか200年ぐらいの歴史しかない。
 以前、放送大学の文学の授業でアフリカ文学について学んだ。植民地にされたりした歴史を書いているらしいのだけれど「小説」というジャンルが「ヨーロッパ中心主義」の可能性があるので、その辺は考える必要があると言っていた。

 福田恒存の「私の幸福論」に、なぜ小説を書くのかと問われて「金と女と名声のため」と答えた小説家がいると書いてあった。僕も友達になぜブログを書いているのか問われた時に「楽しいから、女ウケがいいから」と答えた。

 小説って正直オワコンだと思う。詩もオワコンだと思う。文学ってオワコンだ。日本の現代小説はどれもクソだ。どれもクソなのは「歴史的必然性」がないからだと思う。今、歴史的必然性は、漫画やアニメの方にある。漫画やアニメの方に本質があると見抜けないで、未だに文学をやっているマヌケが文章を書いているので、つまらないのは当然である。ぶっちゃけ未だに文学を創っている、読んでいる人って骨董趣味に近いと思う

 歌舞伎や能みたいな、終わったジャンルってたくさんあると思うが、いずれ小説も「あー、なんか文字だけで頑張ってるやつあったらしいね」みたいな時代が来ると思う。「なんか恋空って流行ったよね」みたいな。僕には小説を書く意味は分からない。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

平家物語

 

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